精子戦争

性行動の謎を解く

Sperm Wars: Infidelity, Sexual Conflict and Other Bedroom Battles

ロビン・ベイカー / 河出書房新社 / 97/06/16

★★

いつかこういう本が書かれるだろうと思っていたが……

 この本では「精子戦争(sperm wars)」という言葉が使われているようだが、sperm competitionという言葉の方が「学術的」なんではないかと思う(あまりこの世界の現状を知らないので、信用しないこと)。定訳を知らないので(「精子競争」か?)、スパーム・コンペティションという言葉を使うことにする。

 まず素人向け解説。スパーム・コンペティションとは、動物のメスの膣の中に入った精子が行う競争のことである。オスは自分の子孫を残すためには、メスに子供を産んでもらわなくてはならない。そのためには、交尾可能な年齢まで生き残ることはもちろんだが、メスとの交尾の機会を得て、実際に交尾に到らなければならない。だから動物のオスはいろいろと競争をする。クジャクのオスが競ってきれいな羽をつけるのはこのためである。しかし、種にもよるけれども、この競争は交尾をした時点で終わるのではない。オスとメスがつがいになっていて、発情期のあいだは他のオスが近寄るということがまったくないというような種であれば別だが、そうでない種であれば、メスは受精可能な時期に複数のオスと交尾をする。したがって、メスの膣の中では複数のオスの精子が入り交じることになる。これらの複数のオスの精子が受精という最終目的を目指して行う競争がスパーム・コンペティションである。この競争はかなり複雑なメカニズムによって行われていることがわかっている。たとえば一口に精子といっても一様ではなく、いくつかの種類が役割分担をしている。アメリカン・フットボールが例として適当かもしれない。敵(別のオスの精子)に遭遇したときにやっつける種類とか、子宮にいたる道を塞ぐのを専門にする種類などがあり、ひたすら受精を目指して突っ走る種類がある。

 ここまではまず間違いのない事実。次の一歩がむずかしい。むずかしいのは、この私がこの分野のちゃんとした知識を持っていないからなのだが、とりあえず先に進もう。上のパラグラフでは精子競争をオスの立場から見たが、メスもとうぜんこのメカニズムに参加している。メスはなるべくならば「優秀」なオスの子を産みたいと考える。この「優秀」さには、頑丈さ/敏捷さ/狡猾さなどの生き残る確率を高めるような資質はもちろんだが、次の世代の子を残す確率を高める資質も関連している。つまり、自分の子がオスならばメスにもてるような、自分の子がメスならば「優秀」なオスの子を残せるような資質を持つような子を産みたい。前者の資質が研ぎすまされていく過程を自然選択(natural selection)と呼び、後者の資質が研ぎすまされていく過程を性選択(sexual selection)と呼ぶ。さて、少し乱暴ではあるが、性選択のメカニズムはどちらかといえばメス主導で起こる。メスの方が、子を残すためのコストが高いからである(ここらへんずいぶんはしょった)。したがって、メスは、スパーム・コンペティションに関しても、何らかの操作を行って、(結果として)性選択的なメカニズムを作り出しているはずである。私がよく知らないのは、この点について、メスの側が行っている操作の範囲について、どれほどの研究が行われ、証拠が得られているのかということである。

 この本にはいくつかの大きな仮定がある。(1) メスは上記のスパーム・コンペティションに関して、きわめて強力に介入している。(2) いまの人間でも(実際の生殖活動において)スパーム・コンペティションが大きな役割を果たしている。(3) いまの人間のメスはこの介入を強力に行っている。この3つの前提がすでに危ないが、そこから先の議論の展開は、ちょっと類を見ないほどデズモンド・モリス的であるというか、要するに人間のすべての行動を行動生態学の文脈で説明しつくそうとするむちゃくちゃなもので、酒場での与太話とでもいうべきものだ(ただし酒場での与太話にまったく真実がないというわけではないのだが)。

 そういうわけで、この本に書かれている、特にメスによる操作に関連する説明は、真剣に受け取らない方がよいだろう。現代の(おそらくアメリカ人の)性行動のパターンが遺伝子できれいに説明できると思うのはかなり変だし、だいたいアメリカ人の性行動だってここ数十年で激変しているのだ。ただし、男性のマスターベーションを新鮮な精子を準備するための行動と説明するのはありだろうと思ったのだがどうなんでしょうか? 次の性行為までの日数を計算しているというのはちょっと行き過ぎだが。

 ちなみに、あくまで論理的に考えれば、ヒト(ホモ・サピエンス)は、このスパーム・コンペティションが効くだろうと推定されるタイプの種である。進化の経路から考えて、性行動はもともと乱交的であったろうし、オスの睾丸のサイズが相対的に大きいのは、少なくともオスの側にスパーム・コンペティションに備えてたくさんの精子を作らなければならないという進化上の圧力がかかっていたことを意味する。しかし、社会の仕組みが強い制約になっている20世紀にもなって(いやそれをいえば古代エジプトでもすでにそうだが)、このファクターが本当に効いているのかはわからない、とゆーか。

 とまあ、初歩的なことを書きました。以下、いくつかコメント。

 メイナード・スミスが、靴ヒモの結び方の上手さを決定する遺伝子でさえも存在すると言ったというエピソードがあるけれども、この本では、人間の女性がコンドームの使い方を決定する遺伝子の存在を仮定している。断言はしないが、この本は長いジョークなんでは?

 この本は行き過ぎだとしても、行動生態学者は現代の人間の性行動についてもう少し発言をしてもいいのではないだろうか、と思う。いやまあ社会的な制裁が怖いのはよくわかるけれども、たとえばいま日本で問題になっている援助交際について、「オヤジが中高生ぐらいの年齢の女に欲情するのは正常である」とか、「中高生ぐらいの年齢の女性が性交するのは正常である」ぐらいは断言する生物学者が現れてもいいのではないだろうか? (それともいるのかな?)

 上でも何度も触れたけれども、この本の多くの部分は、現代の人間の女性がスパーム・コンペティションを念頭において行動の調節を行っているという(ものすごく大きな)仮説に依存している。ここまで行かなくても言えることはいろいろとあると思う。

1998/4/17

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