日本語ウォッチング

井上史雄 / 岩波書店 / 98/01/20

★★★★

きわめて正しい姿勢の本

 以前からよく思うのだが、「日本語の乱れ」を指摘する人には、日本語に関して真剣にものを考えた形跡がなさそうな人が多い。ここでもやはり専門家の沈黙、あるいは社会的影響力のなさという問題が働いているのだろうか。この本の著者は、実際にフィールドワークをやっている日本語学/方言学の研究者のようだ。著者は「はじめに」で次のように書いている(p.i)。

 いわゆることばの乱れの論議が起きたときに、昔からの変化だと指摘することは、研究者のよくすることだが、ここでは普通よりもっと長いタイムスパンで位置づけてみたい。

 この本では、(もちろん適用可能な現象に限ってだが)現代の日本語に見られる変化を、千年ぐらいの長い変化の傾向の文脈にあてはめて論じようとしている。ふつう専門家が、一般向けの本で「ラ抜き言葉」や「〜じゃん」などの言い方を説明するときには、「標準語と方言」という概念を持ち出して相対化しようとすることが多いのだが、この相対化にはそれなりの限界がある。結局のところ、どちらにしろ標準化は恣意的に行われるのだから、いまの標準語に標準化して何が悪い、というあたりで落ち着いてしまいかねないのだ。だからこの本のように、グローバルな文脈で提示してもらうととても安心できる。

 とはいうものの。ここ100年ぐらいで起こった変化の1000年単位の変化の中での把握と、多様な方言の1000年単位の変化の中での位置付けを、しっかりと体で納得するためには、実際に研究の場に身を置いて、個々の事例に触れないと無理だろう、というのがこの本を読んでの感想だった。そういう感想を与えうるように書かれているのは、この本の良いところである。

 この本は「ラ抜き言葉」、「〜じゃん」、「ガ行鼻濁音」などの有名な事例を押さえているが、それ以外にも細かいところに興味深い記述がある。

  1. 「うざったい」。この言葉はもともと多摩地区の方言だそうだ。で、88ページには、1983年の時点で、氷川から東小岩までの東京都内の8地点における、この言葉の使用頻度の分布のグラフがある。これを見ると、たしかに多摩から遠ざかるにつれて使用頻度が減っていっている。似たような分布グラフが105ページにもある。このグラフは「あおたん」という言葉の分布を示したもので、もともとは北海道の言葉なのだが、奥多摩町氷川の炭坑に北海道から移住してきた人たちが使い始め、これが東進していったものと思われる。日常生活の中でまったく実感が湧かないのだが、東京都内でさえ分布にばらつきがあり、しかもその分布は、言葉がコミュニティ内で使われることで徐々に広がっていったという痕跡を示しているのである。
  2. 「アクセントの平板化」。若い女性の「彼氏」の発音みたいな奴である。これをこの本では「専門家アクセント」と呼んでいて(ただし「彼氏」の発音そのものがこれに該当するとは明示していないが)、ある言葉を頻繁に使うようになると(専門家)、そのアクセントが平板化し、こんどはその平板化が、専門家コミュニティの中での仲間意識を育んでいるという仮説が述べられている。外来語が平板化することが多いのは、その言葉が専門家コミュニティから入ってくることが多いから、である。コンピュータの分野でいえば、たとえば「ディスク」という言葉を発音するときに「ディ」の方にアクセントを置いたら素人のような感じがする。ところで、明らかにコンピュータの専門家の人が英語の"disk"を発音するように「ディスク」を発音したら、気障である。政治家が「国会」を発音するときに「こっ」の方にアクセントを置くことがあるのは、これと同じ(気障を目指す)メカニズムなのだろうか?
  3. 「尻上がりイントネーション」と「半疑問イントネーション」。「だから〜、おれ〜、きのうあの店にいったんだけど〜」の「〜」の部分をつねに伸ばして上げるのが前者。後者は、若い女性がよく使う(とされている。しかし実際にはかなり普遍的である)、単語の終わりをまるで質問文のように上げるけれども、実はぜんぜん質問じゃないやつである。この本では、後者については英語からの(正確には英語教育からの)影響を原因の1つとして示唆している。ちなみに前者について。ドイツ語の喋られ方を知っている私には、この「尻上がりイントネーション」はそれほど不自然に感じられない。もちろんドイツ語でも文の最後は下げるけれども、個々の文節の終わりは英語よりもずっと上がりぎみである。聞いても理解できないけど、フランス語もそれっぽく聞こえる。英語でいえば、アイルランド方言は(またときにはオーストラリア方言も)文の終わりですら上がっている。これらの言葉の喋られ方の直接の影響があったとは言わないけれども、日本人一般が西洋語にさらされる機会が今後増えてきたら、この傾向は完全に定着するかもしれない。

 「日本語の乱れ」を偉そうに論じる人は、「ディスク」の「ディ」、「ティッシュ」の「ティ」、「ヴァイオリン」の「ヴァ」などを近年の日本人が発音するようになったことも「乱れ」であるということを視野に入れて論じなければならない。

1998/4/19

これは、「ラ抜き言葉」という表現そのものに考察を加えた記事で、きわめて興味深い。

1998/7/6

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