脱常識の部落問題

朝治武、灘本昌久、畑中敏之・編 / かもがわ出版 / 98/05/15

★★★★★

たしかに刺激的な論集

 『だれも書かなかった「部落」』に続いて、『「弱者」とはだれか』からのつながりで読んでみた。

 部落問題に対するアプローチが業界関係者の間で揺れている現状を踏まえた、28人の論者による小論集。編者の灘本昌久は『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』の人、畑中敏之は『「部落史」の終わり』などの人。全体として業界関係者の間での内輪話という感じだが、内部にどのようなベクトルがあるのかを知る手がかりになる。

 問題意識は水平社・解放同盟のイデオロギーからの脱却にある。まあそのような動きに対する抵抗もあるにせよ、いまトレンディーなのは脱却の方であるようだ。この動きの中には、(1) ちゃんとした社会学と歴史研究の知見をもとにした、歴史観の修正と、(2) 被差別部落の置かれている状況の変化に応じた、反差別運動の教条の修正の2つの大きな流れがある。

 私見として、あまり表立って主張されないことを書いておく。部落差別というものは(都会型のがあるにしても)もっぱら田舎での現象である。非東京/非コスモポリタン型といってもよいだろうか。部落差別の被害者の側に注目する人は、部落外と部落内の関係に注目するけれども、今後問題となるのは(というかずいぶん前からそうだったとは思うが)、そのような「部落外と部落内」をひっくるめた「田舎」と「都会人」という関係である。ヤンキーとアメリカ南部というような例を思い出せばいい。『だれも書かなかった「部落」』は、京都という田舎に都会人の目が注がれたという風に理解できる。

 (部落内と部落外の両方を含む)当事者たちにとってはいかに切実な状況であっても、その外から注がれる視線は冷たく乱暴で、そのような場では「部落内と部落外」の差よりも、「田舎と都会」の差の方が大きかったりする。そういう状況なのであるから、部落差別問題には、「部落外」のことをあれこれ言うのではなく、一気にコスモポリタンな場所に届くような言葉とイデオロギーが必要なのだ。差別語狩り問題は、田舎の問題を都会に持ってこられて困っちゃったという事例の1つである。

1999/11/26

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