パラサイト・シングルの時代

山田昌弘 / 筑摩書房 / 99/10/20

★★★

ちょっと話を大きくしすぎのような感がある

 著者は社会学者。現代日本の20歳から34歳までの男女おのおの500万人、合わせて1000万人が、親と同居している独身者である。この人々を「パラサイト・シングル」と名づけ、彼らの存在がいまの日本社会に大きな影響を与えていると論じる本。議論の展開に疑問をいくつか抱いた。

 1995年度の国勢調査をもとにした本書57ページのグラフと記述を見ると、たしかにパラサイト・シングルは1000万人いる。だが、同じ年齢層の非パラサイト・シングルは1800万人ほどいる。本書では、この年齢層の独身者の間で親同居者が多数派であるということを何度も強調しているけれども、その年齢層全体から見れば決して多数派ではない。本書で述べられている、パラサイト・シングルが社会経済に与える影響なるものは、この事実を踏まえて冷静に評価しなくてはならない。

 61ページの「働く未婚女性の親同居率」のグラフを見ると、1975年から1996年にかけて、働く未婚女性の親同居率は20〜24歳のセグメントと25〜29歳のセグメントで10%ほどしか上昇していない(30〜34歳のセグメントでは15%)。もちろん「未婚女性」全体の人数が増えているから、絶対数はもっと増えているのだが、相対的な割合が10%ほどしか変動していないということは重要である。本書では、パラサイト・シングルの増加が未婚率の上昇を引き起こしているという説が述べられているが(というか、2つのファクターがポジティブ・フィードバックの関係にあると言っている)、仮に1975年から1996年にかけてパラサイト・シングルの人数が大きく増えていたとしても、そのうちの多くは、親との同居を指向する若者の増加ではなく、単に(特に女性の側の)未婚率の上昇をベースに説明できるはずだ。本書で述べられている、若者の親同居指向についてのさまざまな説明は、この事実を踏まえて冷静に評価しなくてはならない。

 95ページあたりから、基礎的消費を行わないパラサイト・シングルが不況を悪化させているという話が出てくる。彼らはその分、付加的消費を行っているのだが、本書では基礎的消費の減少の方を強調している。もちろんさまざまな統計的インデックスへの効きかたは違うわけで、そのことが「景気観」に影響を与えることは間違いないと思うのだが、これはインデックスや景気観の作り方が時代に合っていないということだ。また本書の主張の背後には、日本国民が付加的消費を抑えて基礎的消費を増やすべきだという観念があるようなのだが、その根拠がわからない。そもそも、シングルが親との同居を選ぶのは、彼らが経済的に合理的な選択を行っているということなのだが、この合理的な選択が、たとえば土地の値段が下落し、通信インフラストラクチャが成長するというような望ましい合成的結果を生み出しているということを見落とすべきではないと思う。つまり著者の経済学的な議論は、「土地の値段を高値で安定させたい」、「公共投資は土木工事に投入すべきだ」というような議論に代表される古い経済政策観念に基づいている。

 ただし、個人の自由になるスペースの減少が与える影響というものはたしかにあるだろう。親と同居している人は、たぶん子供の頃から使ってきた小さい部屋にそのまま住んでいるのだろうから、部屋にあまり物を置けない。そのために、付加的消費の中でも、小さくかさばらないもの、捨てやすいもの、あるいは無形のサービスに消費を振り向けるようになる。しかしこのことから「全体としての」消費が減るということにはならない。

 112ページあたりから、親の経済的利用可能性が子の階層意識を決めるという話が出てくる。そのことから能力主義の理念が崩壊する可能性がある、という。しかし、「親の経済的利用可能性が子の階層意識を決める」のは、特に若者の間では昔も同じだったはずで、別にパラサイト・シングルがどうこうという話ではない。また、ここの部分の労働意識の議論では、パラサイト・シングルのうちの男性と女性を区別して論じないとおかしなことになると思う。そもそも前に書いたように、パラサイト・シングルの近年の増分の多くは、女性の若者層の未婚率の上昇で説明できる。要するに起こっているのは「昔ならば早いうちに結婚していた女性が、結婚せず、親と同居している」ということである。昔ならば早いうちに結婚していた女性の大部分は、昔ならば専業主婦になるか、仕事に出たとしてもパート・タイムの職に就いていた。それがそっくりパラサイト・シングルに移行しているとしたら、彼女たちがパート・タイムの職か、賃金の低い職に就いていたとしても不思議ではない。そもそも逆の方から考えれば、この層は(高いスキルを持つ)低賃金労働者層のバッファとして機能してきたわけで、この人たちに「正しい」階層意識に基づいた旺盛な労働意欲を持てといっても始まらない。

 全体として、「家族社会学」なるフィールドの人によく見られる傾向だが、フェミニズムという確固とした論理があって、それに対するアンチテーゼを打ち出すという姿勢に立っていることを原因とする論旨の乱れみたいなものを感じた。著者の主張から仮想的な論敵なるものが想像できるんだけど、その論敵は別にもういいんじゃないのというか。本書の「パラサイト・シングル」の理論では、男女平等の流れに沿っての女性のキャリア指向化が、運動家たちの期待には反してちゃんと進んでいないということを指摘したいあまり、振り子が不必要に大きく振れているという印象がある。

1999/12/2

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