アメリカの中のヒロシマ

Hiroshima in America: Fifty Years of Denial

R・J・リフトン、G・ミッチェル / 岩波書店 / 95/11/10

★★★

アメリカにおける原爆の理解のされかたの歴史的検証

 著者は精神医学・心理学者(リフトン)とジャーナリスト(ミッチェル)。アメリカ人が原爆をどのように理解してきたかを、投下直後のプロパガンダからスミソニアン論争までの長いスパンで検証している。ただし、リフトンのせいだろうと思うけれども、特にトルーマンを扱った第2章などでは、精神分析のにおいがして少しばかり気持ち悪い。

 この本のまえがきには次のように書かれている(ixページ)。

この問題には、複雑な感情が充満している。原爆が広島に投下された時、アメリカ人は深い満足感と同時に深刻な不安を抱き、以来、こうした心理的反応は今に至るまで存在し続けてきた。五十年後の今も、アメリカ人は日本に対する原爆の使用について誇り、苦しみ、戸惑いの気持ちを持ち続けている。

もちろん、このような「苦しみ、戸惑い」の気持ちがあるのは、彼らに自分たちこそが正義の味方であるという観念があるからだ。だから、そういう観念がない現代日本人には、こうした「苦しみ、戸惑い」をこうやって論じることが遠く離れた場所のことのように思える。1998年の初頭、CNNは、国連の査察団の受け入れを拒むイラクに対して爆撃を行うべきかどうかを論じるtown-hall meetingをライブで放送した。国務長官、国防長官、大統領安全保障担当補佐官がパネリストとして参加したこの集会は、あまりスムーズに流れなかった(Stop the racist war!と連呼する集団が何度か進行を妨げた)ため、アメリカ国民の中に意見の不一致があることが改めて認識された、と(日本のメディアなどでは)解釈されたようだが、これはまるっきりの勘違いで、あの集会はアメリカ人に正義があるということを全世界に向けて主張するための道具だったのである。というのは後付けで、たぶんクリントン政権の側はあそこまでの混乱が起こるとは思っていなかったのだろうけれども、あの番組のおかげで、「いざとなったらアメリカがイラクを爆撃しても仕方がない」と考える人々が全世界に大量に増えたことは間違いないだろう。

この本にはいろいろなことが書かれているが、そのうちの1つのテーマは次のようなものである。

アメリカの当局は、原子力爆弾の効果についてあまり知らないまま投下を行ったが、投下後も、その影響についての無知もいくぶん手伝って、爆心地やその周辺でどのようなことが起こったかについて、アメリカ国民にあまり詳しいことを知らせなかった(隠蔽といってもよいが、単なる無知もそこでは働いていただろう)。このため、アメリカ国民はいったんは、原子力爆弾を完全に正しい、喜ばしいもの、日本との戦争を終わらせたものとして"のみ"受け取った。後に原子力爆弾が日本人たちにどういう影響を及ぼしたのかを知らされたとき、また核の競争と均衡をベースにした冷戦なるものが始まったとき、さらには広島と長崎への投下がoverkillだったことがわかったとき、アメリカ国民は原子力爆弾に関していったんは抱いていた誇りが裏切られたように感じ、原子力爆弾のことを冷静に考えるのが難しくなった。

原爆投下とイラク爆撃(実際には1998年には行われなかったわけだが)の間には、ベトナム戦争と湾岸戦争があり、ベトナム戦争にはそれ自体の教訓があったにせよ、上記のCNNで放送された集会は、上のパラグラフに書いたような問題が生じるのを回避する機能を果たしている(まあ実際にはベトナム戦争と湾岸戦争のことを外すわけにはいかないけど、別の機会に)。つまり、爆撃するときには、前もって国民に知らせる。それによって非戦闘員に死傷者が出るかもしれないということを前もって言っておく。しかもそのことを全世界に対して周知の事柄にしておく。本書で扱われている問題は、なるほど、あの1本の番組で解決されてしまったのである。

1998/4/21

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