魔女の1ダース

正義と常識に冷や水を浴びせる13章

米原万里 / 新潮社 / 00/01/01

★★★

小噺の好きな人

 著者はロシア語の通訳者。『不実な美女か貞淑な醜女か』を書いた人。1996年に単行本として出たものが文庫化されたもの。

 小噺とシモネタが異様に好きな人で、書かれている内容もどこまで信じていいかわからないものが多い。女性版の板坂元みたい。外国人相手に出所の怪しい日本人ネタを喋ってまわっているんじゃないかと不安だ。ロシア語の通訳という仕事柄、アングロ・サクソン文化を相対化するという視点が強い。そこらへんに関する思索は、まあふつう。

 57ページあたりに、通訳/翻訳とは、異なる言葉のネットワークの間での変換作業なので、機械通訳/機械翻訳は無理だという趣旨の記述があるが(著者はこういう表現は使っていない)、これには異論がある。通訳機械が普通のビジネスの場で使われるようになったら、ひとはその機械が受け付ける語彙の範囲でしゃべるようになるはずだからだ。これは『マクドナルド化する社会』の話と少し関係する話題なのだが、人間はシステムや機械の仕様に合わせて行動を変えるものである。したがって近い将来、通訳機械が普及し、各シチュエーションに応じた「標準的」な語彙というものが確立されたら、少なくともその通訳機械を頻繁に使用する人は、通訳機械による通訳が可能な会話を意識的にするようになるだろう。通訳機械を使うための資格試験も作られるかもしれない。「通訳機械検定1級」みたいな。

 この機械を使う人は、通訳機械の内部にある中間言語への翻訳が可能な言葉を意識して喋らなくてはならないという意味で、間接的に通訳に参加していると言うことができる。そのようにして行われる会話はあまり「豊か」なものにはならないだろうが、もともと通訳のニーズはあまり「豊か」な会話が必要とされないビジネスの場において最も大きいのだから、別に良いのである。これはまた、『Different Games Different Rules』で扱われていたような異文化間コミュニケーションが標準化されるということを意味しており、現在の趨勢を見るかぎり、この標準化が西洋のルールをベースにして行われることは避けられないだろう。

 別の例として。書かれたテキストを処理する自動翻訳プログラムは、悪文を生成することで評判が悪い。しかし、インターネットの流行に伴い、(たとえば)英文に接する人が増え、そこそこ優れた自動翻訳プログラムが普及したら、人はそのプログラムが生成する悪文に「慣れる」だろう。明治維新の文明開化から100年以上が経過して、われわれはすでに「翻訳調の文体」というものを持っている。同じような感じで、比較的長いスパンにはなるけれども、「自動翻訳調の文体」なるものが登場し、根づくかもしれない。

 これらの変化は文学に大きな影響を与えるだろう。たとえば本書では「梅干し」という言葉が実に多様な意味を含んでいるという例を挙げているが、そのような意味を使って書かれた文芸作品は「普遍性がない」として退けられる、というようなことが起こるかもしれない。

2000/1/6

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