キリスト教の揺籃期

その誕生と成立

L'enfance du christianisme

エチエンヌ・トロクメ / 新教出版社 / 98/08/25

★★★★★

初期のキリスト教の姿を細かく描く重厚な本

 『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』『「新約聖書」の誕生』の著者である加藤隆が訳している本。著者のエチエンヌ・トロクメは、ストラスブール大学プロテスタント神学部の重鎮で、訳者の博士論文を指導したらしい。

 本書は紀元後2世紀頃までの初期キリスト教の歴史を細かく解説している本。非常に細かいので、関心がある向きには、さきに『「新約聖書」の誕生』を読むことを勧める。モチーフはだいたい同じだが、こちらはより継時的であり、より細かい。

 以下、この問題に関する個人的感想。本書を1つの物語として読むと、キリスト教が世界的に普及するという続篇がありうるとはちょっと思えない。パウロの運動は挫折し、エルサレム共同体は壊滅の危機を迎える。その後に残ったのは、あちこちでばらばらに存在するコミュニティ。宗教としての存続は、いかに自らをその出自であるユダヤ教から切り離し、ローマ帝国に寄り添うことができるかという点に依存しているが、その流れがうまくいくかどうかは未だ判然としない。そういうかなり悲観的なストーリーなのである。

 本書と『「新約聖書」の誕生』を読んで改めて思ったのは、パウロの挫折の意味の重さだった。パウロの運動は新約聖書の成立から遡って論じられることが多く、そのために彼の運動は新約聖書の重要な文書として収められた書簡の成功から照射されて語られるのが一般的だと思うが、この2世紀の初めぐらいの時点でキリスト教史をぶったぎると、パウロの名前には何の未来もないように見えてしまう。これは要するに新約聖書の編纂者がかなりアクロバティックなことをやったということなんだろうと思うが、私が言いたいのは、栄枯盛衰の歴史が、どこでぶったぎって見るかによって、各種の要素の見え方がまるっきり変わってしまうということだ。

 それに関連して、どうしても頭から去らないのがオウム真理教である。麻原彰晃の死刑が執行され、オリジナルの教えをかなり世俗化したオウム真理教の運用が日本で続けられる。それから20年後ぐらいに、オウムが種を播いていたロシアでパウロが登場する。パウロはロシアのあちこちの教会に宛ててロシア語で書簡を書き、日本のオウム真理教本部と対立する。その後、パウロの運動は挫折し、日本の本部も弱体化する。それから100年とか200年のレンジで、オウム真理教の過激な色合いを除去した新オウム真理教が、ロシアからヨーロッパに広がる。その宗教の聖典はロシア語で書かれていて、それが英語に翻訳されたりもする。日本の富士山は「聖地」となっているが、異教に占拠されているので、それから1000年ぐらいのレンジで十字軍による聖地奪回が企てられる。

 そういうことがもはや起こり得ないように思えるのは、オウムについて書かれたテキストや、オウムの人間自らが書いたテキストが大量に存在し、今後1000年間もその大部分が残るだろうと考えられるからだ。実際、初期キリスト教の歴史を読んでいると、人々がドキュメント管理を行わなかったためにどれだけ後世の歴史家が苦労したかということがよくわかる。管理どころか、テキストを書くという習慣がアラム語圏のキリスト教信者にはそもそもなかったし、初期エルサレム共同体はテキストを書かないことによって自らの権威を強めたというのが、加藤隆が『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』の中心的テーマの1つとして立てている発想である。

 しかし考えてみると、われわれはキリスト教について、中世の魔女裁判とか、帝国主義との密やかな連係プレーとか、その他もろもろの悪事をたくさん知っているのにもかかわらず、総じて無害なものとみなしている。そうすると、1000年後と言わなくても、100年ぐらいのスパンで、ヨーロッパの新オウム真理教教徒が、自らの宗教の創始者たちが東洋の島国でサリンを撒いたというていどのことは無害と思う可能性は十分にあるかもしれない。もちろん、1000年後の人類が20世紀の文書をどのように解読し、どのように解釈するかはわからない。

 同じ著者と訳者の組み合わせの『受難物語の起源』も参照。

2000/1/14

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