文明の衝突と21世紀の日本

Japan's Choice in the 21th Century

サミュエル・ハンチントン / 集英社 / 00/01/23

★★★★

日本人向けの企画本

 『文明の衝突』の抜粋に、1998年に東京で行われた講演「二十一世紀における日本の選択 - 世界政治の再編成」と、『フォーリン・アフェアーズ』の1999年3〜4月号に掲載された論文「孤独な超大国」を追加した軽装版。要するに日本人向けの企画本である。『文明の衝突』は1993年に発表されたものだが、それ以降のアメリカの迷走を反映してか、アメリカの国際社会の中での孤立という要素が強く押し出されているという印象がある。

 私が『文明の衝突』の項の末尾に付記した感想はかなり的確なものだったと再確認した。ハンチントンは、唯一の超大国となったアメリカが、自らの価値判断を「普遍的」な価値判断として他文明に押しつけることを危険だと考えている。その意味で、彼はレイシスト的な立場に立っているのである(言い替えれば文化相対的)。このあたりの現実的なバランス感覚は、さすがに『強国論』のD・S・ランデスとは違うなと思うが、比較の俎上にのせるのが間違っているんだろう。

 『文明の衝突』では日本という文明があまり詳しく論じられていないという印象があったが、「二十一世紀における日本の選択」では少しばかり突っ込んだ議論をしている。この中で、やはり私が『文明の衝突』の項に書いたことを裏づけるような見解が提示されている。日本は他の文明から孤立しているため、世界で起こる出来事に対する責任を持たなくて済むというアドバンテージがあるということである(逆に言えば無責任な姿勢を取りやすいということでもある)。たとえば湾岸戦争で日本が連合国側の費用を負担したときに「なぜ?」という声があちこちから上がったが、まあそういうことだ。

 『文明の衝突』では、日本が今後はアメリカから離れて中国に寄り添うようになるということが主張されていて、その論拠がわかりにくかった(なんせ米軍基地反対運動をその流れの中に位置づけていたんだから、わからないのも当然である)。本書では、日本が伝統的に世界の強国に追随する外交戦略をとってきたということが論拠として出されている。まあそう言われればそういうことなんだが、この説明はなんだかトートロジーであるような気もしなくもない。これは要するに、日本が今後も超大国にも地域大国にもなることはなく、本書でいうところの「ナンバー・ツーの地域大国」でありつづけるということと同じことをいっている気がする。

 著者はドイツとフランスの和解の例をあげて、日本と中国がいかにして和解できるかが、東アジアの将来の平和と幸福を定めるとして議論を締めくくっている。この背後には、アメリカと中国の対立が今後も続くという信念がある(まさに「文明の衝突」)。これは仮に中国の共産主義体制が崩壊したとしてもそうなるということだ。しかし、著者の定義上、中国と日本は違う文明に属しているんだから、ドイツとフランスの例はちょっと違うはずだ。このあたりに、著者が日本文明なるものを想定しておきながら、それが遠からぬ将来に消え去る運命にあると予想している本音が透けて見える。まさか日本での講演でそんなこと言うわけにいかないだろうけど、そう思っているに違いない。

 なお、「解題」と称して中西輝政が変なことを書いているが、まともな議論として、ハンチントンの議論の流れが、国際社会での相対主義と米国国内での絶対主義の組み合わせから出てきているという指摘がある。

2000/1/23

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