シビル・アクション

ある水道汚染訴訟

A Civil Action

ジョナサン・ハー / 新潮社 / 00/02/10

★★★★★

リーガル・サスペンス以上の迫真性

 1960年代後半に、ボストン近郊のウォーバーンで起こった急性リンパ性白血病の集団発生をめぐる集団訴訟を扱ったノンフィクション。水源地の近くにあった工場がトリクロロエチレンを垂れ流しており、それが上水道に混じって、白血病に限らず周辺住民の健康に甚大な影響を与えた。若手弁護士が白血病患者の遺族たちの代理人として、大企業2社相手に集団訴訟を仕掛けるが、実際に裁判が行われたのは1980年代に入ってからである。著者はノンフィクション・ライターで、弁護士側に密着取材を行っていた。

 懲罰的損害賠償を見込んで大企業に対して集団訴訟を仕掛ける若手弁護士という構図はリーガル・サスペンスではおなじみのものだが、この本はノンフィクションとしての迫力を持っている。フィクションだと省略されてしまうような細かいところでのニュアンスがしっかりと描かれて、非常に興味深かった。ちなみに本書の主人公である若手弁護士ジャン・シュリクトマンは、キャリアの初期の頃にバリ・リード(『評決』などを書いた現代的リーガル・サスペンスの草分け。最近作は『疑惑』)の事務所で働いており、リードの名前もちょっとだけ出てくる。

 なお、アメリカ流の司法制度を賛美している本、『アメリカ司法戦略』では、民事訴訟が社会正義を実現するための手段の1つであるということが強調されていた。この種の主張はよく聞くけれども、せいぜい巨額の賠償金が課せられるリスクを怖れて、企業がより慎重になるというていどの効果しかないんじゃないかと思っていたのだが、本書を読んでいまさらながら一つ大きなことに気づいた。本書で扱われている事件では、汚染が始まってから20年近くのあいだ、住民たちの被害は事実上社会から無視されてきた。水道水に混じったトリクロロエチレンと健康被害の間の科学的な因果関係がまだ確立されていなかったという事情もあるにせよ、やはり理由としては、政府を含む社会全体に、問題を解明しようという気運がなかったということが大きいと思われる。

 そういうような中で、被害を受けた住民たちがこの問題を社会に訴えたいと考えた場合、政府から金が出ないとなると、そもそも調査を行う金がどこにもないのである。EPAは調査に乗り出していたが、住民たちの健康問題にまで踏み込んだ調査ではなく、役所仕事だから進展も遅い。そもそも、住民たちが望む事柄に調査対象がぴったりと一致するという保証はどこにもない。したがって、本書で描かれているような、裁判を起こして得られる懲罰的損害賠償金を見込んで行われる調査は実のところきわめて効率が高いのである。実際、本書を読んで改めてよくわかったのは、この種の訴訟を手がける弁護士の仕事は一種の「民間主導型のプロジェクト」なんだということである。この件で、主人公の弁護士は裁判に勝てるかどうかわからないまま数百万ドルにものぼる費用を負担している。この費用は、裁判に勝てなければまったくの無駄になるので、プロジェクトとしてのリスクは非常に高い。銀行は訴訟の計画を見て、勝算があるかどうか、あるとしたらどれぐらいの賠償金が見込めるかという予測をもとに融資をする。

 このプロジェクトがなければ、狭い範囲ではウォーバーンの健康被害、広い範囲ではトリクロロエチレンの健康に対する影響についての科学的研究は大幅に遅れていただろう。つまり、きわめてアメリカ的な発想ではあるけれども、冒険心を持った企業家としての弁護士が、大企業に対する巨大な民事訴訟という高リスクのプロジェクトを遂行することによって、社会全体が恩恵を受けるというメカニズムがたしかに働いているように思えるのである。もちろん、これは、このメカニズムが望ましい方向に働いた珍しい例なのかもしれない。また、本書を最後まで読むとわかるのだが、この「望ましい方向」も理想的な結末を迎えたわけではない。

 本書はアメリカのリーガル・サスペンスの愛読者にはお勧めできる興味深い本である。なお、翻訳がかなり不安。誤訳が透けて見えるというタイプの訳文である。

2000/2/6

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