暗い森

神戸連続児童殺傷事件

朝日新聞大阪社会部 / 朝日新聞社 / 98/04/05

★★★

どことなく焦点の定まらないレポート

 1997年5月に神戸の須磨区で起こった小学生頭部切断陳列事件に関するレポート。朝日新聞に1997年10月〜11月に連載されたものをまとめた本である。

 この本も、日本のジャーナリズムによく見られる、クレディビリティの欠如という病におかされている。そういえば革マル派が、この事件はでっちあげだという説を唱えているようだが、そこまでは言わないにせよ(彼らの主張の根拠をよく知らないので)、たとえばこの本を読むだけで何かしらの問題があるということは見て取れる。たとえば、179ページには次のような記述がある。

男児殺害事件の自白については、少年の弁護団が供述調書を証拠から排除するよう、のちに審判で求めた。
「兵庫県警の警察官が、犯行声明と少年の作文の筆跡が完全に一致したとの虚偽の事実を伝えて、自白を得た」
と捜査の違法性を訴えたのだ。
井垣裁判官は弁護団の請求を認め、男児殺害事件について警察官が作成した供述調書全部を証拠から排除することになる。ただし、同じ供述を引き出した検察官による調書は適切な手続きを踏んでいたため、審判で事実関係が大きな争点になることはなかった。

 で、このあと、この件についてこの『暗い森』という本が何かフォローしているかというと、何もしていないのだ。少年の事件前後の描写の多くは、この供述調書をベースにしているのにもかかわらず、である(そこらへんがまた例によってあいまいなのだが)。証拠として受け入れられた検察官による調書も、すでに取り調べの過程で汚染されていると見るのがごく当然だろう。それが審判において証拠として採用されるのは仕方がないが(これは皮肉)、ジャーナリストは疑ってかからなくてはならない。

 この本の最初の方は、逮捕された中学生の少年が、このような行為にいたった過程を描写することを目標としている。われわれは、こういう事件が起こると、その実行者を理解したいと思う。それに応えるための資料である。そうであればこそ、警察官による不法な、おそらくはいいかげんな取り調べで汚染された情報をベースにして物語を再構成してもらっては困るのだ。もう1つ。この中学生の少年が逮捕以降に警察や各種の「関係者」に語った事柄は、すべてメディアへのリップ・サービスである可能性がある。

 もう1つ。仮にこの中学生の少年が、この本に書かれているようなことを実際にやったのだとして、われわれが関心を抱くべきなのは、なぜ彼がこういうことをやったのかということよりも(結局のところそんなことはわからない、で終わるに違いない。彼が成人してから手記を書くことを希望しよう)、1997年3月に通り魔事件が起こっていながら、またそれよりも前から少年に問題行動が見られていながら、なぜ頭部切断事件が起こるのを、社会が、また少年の周囲のコミュニティが許してしまったのかということである。適切な対策をとれなかった警察、学校、家族、近隣住民などを、別に非難するのではなく、どこに誤りがあったのか、あるいは誤りは別になかったのかを検証するノンフィクションが必要なのだ。

1998/5/3

革マルによる少年A冤罪説の本、『神戸事件の謎』は、冗談っぽい大理論の部分を除けば、興味深い指摘をいくつもしている。

1998/6/2

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