本が好き、悪口言うのはもっと好き

高島俊男 / 文藝春秋 / 98/03/01

★★★★

美しいエッセイ集

 著者が書いたさまざまな小文をまとめて大和書房から出版された本が、文春文庫となって出たもの。前半には比較的短い書評や時事的なエッセイがあって、いずれもとても面白いものだが、後半の比較的長い文章群は本当にすばらしい。

 IV『「支那」は悪いことばだろうか』は「支那」という呼称についての歴史的な考察。いまの日本では「支那」という呼称は差別語扱いされてタブーであるが、もともとは、大昔にインドで中国あたりの土地のことを「シナスタン」と呼んでいたのが、仏典とともに中国に伝えられた言葉である。ここから現代の中国と日本における「支那」という言葉のあり方までの経緯が細かく論じられていて興味深い。

 V『ネアカ李白とネクラ杜甫』には「高校生諸君に」という副題がついていて、この2人の詩人のことを平易な言葉で説明している。すごいのは、最後の方で両人の良い詩を一首づつあげておきましょうといっておきながら、「さあそれぞれの詩のどこがどういいのか、となるとその説明はたいへんに手間がかかる。まあよかったら一度オジサンちへあそびにいらっしゃい」で済ませていることである。

 VI『なごやかなる修羅場』は、石川淳、丸谷才一、大岡信、安東次男の『歌仙』の、後者3人が行った歌仙の解説をしている文章から始まる。

こういうところを見ると、俳諧の一座というのは、和気藹々たる敵意の衝突であることがよくわかる。それはそうであろう。単なるなごやかさのみであったならば、昔からあんなにも多くの人が俳諧に夢中になったはずがない。俳諧は、人間の、人とまじわり親しみたいという本能と、人とたたかいねじりふせたいという本能とが、ともに満足させられる場である。

そのような観点から、この3人の意思のせめぎあいを解説する。まるでプロレスの試合を論じるターザン山本のようである。

 VIII『回や其の楽を改めず』は、狩野亨吉のことを書いた文章。この奇人を見つめる視線があたたかくて気持ちよい。

1998/5/5

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