考古学からみた琉球史

古琉球から近世琉球へ

安里進 / ひるぎ社 / 91/05/15

★★★

沖縄の考古学に関するまとまりのない本

 著者はあとがきでこのように述べている。「本書は下巻の第二刷をもって「絶版」にするつもりであった。本書の内容が、一般読者にとっては難しく、かといって専門書としての体裁も整えていない中途半端なものになってしまったとの反省からである」。まさにそのとおり。1991年に発行された本書は、著者が1970年代から書いてきた論文をベースにしており、その詳細レベルに一貫性がないまとまりのないものになっている。どうせ読むのなら、別の本を探した方がよさそうだ。

 なお、『沖縄の自己検証』でも触れられていたが、近世以前の琉球に関する歴史観はここ20年間ほどで微妙にずれてきているようである。『沖縄の自己検証』の著者らのセンチメントに沿っていえば、日本による侵略・征服の恨みから脱した科学的な歴史研究、考古学研究が進みつつあるということだ。本書の著者はあとがきで次のように書いている(p.226)。

ところで、本書で展開されている私のグスク時代像の一つは「ロマンの時代」であった。しかし、この時代は「ロマンの時代」というにはほど遠く、琉球人自らが引き起こした「戦乱の時代」を強調すべきだと考えるようになってきた。グスク時代の琉球人は、戦いに備えて、大量の労働力を投入して城塞的グスクを造営し、そして、敵を攻撃し殺害するために、海外交易で入手した貴重な鉄の多くを弓矢の矢じりなどの武器の生産にあてていたからである。鉄製の矢じりは、重いので飛距離は小さくなるが、大きくかつ貫通力が強いので致命傷を与える殺人兵器である。
……私は、このようなグスク時代の特質の一つに「戦乱の時代」をつけ加えるべきだと考えている。琉球人自らが城塞を築き、兵器を生産して相戦ったグスク時代から、私たち沖縄人が生まれながらの「平和民族」などではなく、ある状況に置かれれば戦争を始めてしまう弱さを持ちあわせていることを学びたいと思う。

 まあ、そういうわけである。ここで言っているグスク時代と、琉球が日本の支配下に置かれる近世の間にはそれなりの隔たりがあるにせよ、ここにはコリアを論じる呉善花と同じような形での揺り戻しが見られるといってよいと思う。

2000/2/26

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