三くだり半と縁切寺

江戸の離婚を読みなおす

高木侃 / 講談社 / 92/03/20

★★★

江戸時代再評価の一環

 同じ著者の『三くだり半 - 江戸の離婚と女性たち』(平凡社)と『縁切寺満徳寺の研究』(成文堂)をベースにして書かれている講談社現代新書の一冊。カバーには次のような紹介文がある。

夫による一方的な「追い出し離婚」と、不法に耐えかねて駆け込む哀れな妻。江戸は女性にとって暗黒時代だったのだろうか。

 実はそうではなかったのだ、とする江戸時代再評価の流れにある主張である。こういう「読みなおし」とか「再評価」を目にするたびに思うことだが、われわれは実際のところ、同時代の女性についても(別に女性に限らず、男性でも、公務員でも、外国人でもなんでもよいが)安定した評価を下すことはできていない。たとえば「フリーター」といわれるカテゴリに対する評価は、ここ10年で大きく変動した。「専業主婦」は長いスパンにわたって何度か価値が逆転している。そして、そのカテゴリに属する当人の自己評価も、外部からの評価に大きく影響を受けるにしても、「社会から搾取されている存在」などとラベルを付けて済ませるような単純なものではないだろう。

 さて、私は日本の歴史学についてはまったくの素人だが、この種の入門書を読んでよく思うのは、取り上げられている資料が少ないということである。たとえば64ページに離縁状の行数(何行にわたって書かれているか)を集計した表があるが、母数は約650通だ。これだけ集まったことはすばらしい成果なのかもしれないが、(これはここの文章からは定かではないが、おそらく)江戸時代を通じて、日本全国から収集された全数がこれだけとなると、あまりにも少なすぎはしないだろうか? まあ、たとえばこの表のように、行数の統計的な分布を見るという使い方であれば、母集団の分布をある程度反映していると見ていいかもしれない(実際に三行半が一番多いが、すべてがそうでないということも事実である)。しかしこれらから、たとえば「江戸時代における女性の位置」なんてものを抽出してくるのはまずいのではないかと思う。うーむ、統計情報を抽出するならいいが、観念を取り出すのはよくないと感じるのはなぜなんだろうか? じっさい、これが学問として正しいアプローチだというのはよくわかるんだが。

 21世紀の終わり頃の歴史学者は、20世紀後半の歴史をどうやって研究するのだろうか。同時代に行われた統計をそのまま引用するということになるのだろうか。少なくとも、どんな分野であれ、母数が650というような小規模の研究はありえないだろう。

1998/5/5

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