自己コントロールの檻

感情マネジメント社会の現実

森真一 / 講談社 / 00/02/10

★★★

浅すぎるか

 心理主義化された現代社会における感情マネジメントの普及を、人格崇拝とかマクドナルド化(『マクドナルド化する社会』を参照)といったキーワードに結び付けて論じるポップ社会学。これだけで本の内容は想像できると思うが、その想像の範囲から一歩も踏み出すことのない、なんというかメタの取り方のレベルの低い論考ではあった。

 『二十一世紀の資本主義論』の項と同じことを言うことになるが、著者にはオンライン・マルチプレーヤー型RPGをプレイすることをお勧めする。本書で論じられているような概念が、非常に先鋭的な形で現れているのがよくわかるはずだから。

 本書では、現代社会がよく言われているような倫理の衰退している社会ではなく、むしろ社会構成員の倫理の(または倫理的感性の)水準が向上しているために、倫理に違反するような人に対する検出力が上がっているのだと論じているが、そんなことはマルチプレーヤー型RPG(特に協調型)をプレイするとよくわかる。協調型RPGでは、(それがどんなに恣意的に決められたものであれ)倫理の高さがプレーヤーの価値を決めるという側面があるため、これがインフレーションを起こすのである。プレーヤーの行動の倫理の高さの市場というものがあるのだ。このことから、特定の人の倫理性なるものは、本人による操作が可能なものであり、まさに演じられる役割(ロール)であることがあぶり出される。

 著者は最後の方で、この流れを、雇用の流動性を高めるニュー・エコノミーの陰謀(というか被雇用者との共謀といって良い)であるというような話に持っていこうとしている。私はこの流れはむしろ被雇用者の側の適応という側面の方が強いと思っている(これに適応しきれない人を扱っていたのが『それでも新資本主義についていくか』。この項では、私は「価値の内面化」という言葉を使っていた)。まあしかしこれはそんなに深刻に論じる話でもなくて、要するに、新しい状況に適応できている人は幸せであり、適応できない人は不幸せであり、人は幸せになりたいものだから、幸せな人の持っている属性の方が価値が高いように見えるということに過ぎない。そしてニュー・エコノミーの敗者は、単純に所得が低いという点で不幸せなので、これをひっくり返すのは相当大変なことだろう。株価の二極化が止まらないのと同じことで。

2000/3/25

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