憲法改正

中西輝政編 / 中央公論新社 / 00/04/25

★★

まあホットなトピックではあるが

 2000年1月に、衆参両議院に「憲法調査会」が設置され、憲法の改正の可能性が本格的に議論の場に昇るようになってきた。本書はそのような流れを受けて、従来の「右」の立場(こういう区分はすでに無意味だが)にある6人の論客がまあ思ったことを言っているという本である。

 小林節(慶應大学法学部教授。憲法・英米法)は、憲法の細かい条項の具体的な改正案を示している唯一の寄稿者である。その意味で評価はできるのだが、こうやってでてきた改正案を見るとやっぱり難しいものだと思わざるをえない。いままで曖昧なまま放置してきたことが一挙に突きつけられるわけで、さすがの私も「保守」の立場になって、あんまりいじらない方がいいんじゃないと言いたくなってくる。

 櫻井よし子(タレント)は、内容なし。

 中西輝政(京都大学総合人間学部教授)は、見るべきところなし。

 長谷川三千子(埼玉大学教養学部教授)は、宮澤俊義を初めとする戦後の「リベラルな憲法学者」に対する批判。この流れでの批判は他のすべての寄稿者が行っているといってもよいのだが、この人はいちおうまとまった批判文を書いている。

 福田和也(慶應大学助教授。文芸評論家)は、内容なし。内容のない文章で枚数を稼ぐ手腕は認めざるをえない。

 松本健一(麗澤大学教授。評論家)は、天皇制の解釈に少しばかり重点が置かれた論考。

 それにしても、憲法の改正について論じてもOKという風潮がこれほど広がるとは、時代も変わったものだ。以下、個人的な感想。

 「戦後日本人の無責任さは、主体的でない憲法にその根本原因がある」という論調について。じゃあ、憲法を変えれば日本人は変わるのだろうか。あんまりそういう感じがしないのは、私自身が救いがたいニヒリズムに囚われているせいなのか。「こういうニヒリズムこそが悪なのである、われわれはこのような風潮を払拭して、国際世界の中で主体的な役割を演じなくてはならないのである」、という言い方もわかるんだけど、本当にそういうことを日本人はしたいのだろうか。

 そういうことを言いたくなる焦りはわかるんだが、そのような雰囲気の醸成と平成不況の関係は冷静に見なくてはならないと思う。もちろん、「高度経済成長の時代には、こういう基本的なことがないがしろにされてきて、エコノミック・アニマルなどと呼ばれたのである。いまのような時代にこそ、われわれの価値観をもう一度しっかりと見つめなおさなくてはならないのだ」という言い方もわかるのだが、そうであればなおさら、実際の憲法改正は、日本経済が好調なときにやった方がいいような気がする。それの方が、改正案に対してハードなテストが行われるだろうからである。

 いずれにせよ、いまこの時期での「憲法改正」という言葉には、時代の変化に伴う条文のテクニカルな修正ではなく、日本人が憲法というものに抱く根本的な観念の変更というニュアンスがつきまとっている。本書の寄稿者は全員がそのような立場に立っている。しかし本来は、そうでなくても良いはずなのだ。このような保守主義は、奥村宏が『大企業解体』で言っていたような、マル経学者が日本の企業習慣を擁護するようになるという転向と同じようなものなのかもしれない。そういう意味では転向者の気持ちはよくわかる。単純にいえば、国会で盗聴法案が通ってしまうような状況で憲法改正を議論するというのは、あまりにタイミングが悪すぎる気がしてならないのだ。責任を積極的に負いたいと思っている人たちから見れば、こういう態度は歯がゆくてしょうがないだろうな。

2000/5/6

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