我々はなぜ戦争をしたのか

米国・ベトナム 敵との対話

東大作 / 岩波書店 / 00/03/23

★★★

実にもったいない

 1997年6月に、ハノイでベトナム戦争に深く関わったアメリカとベトナムの両国の当事者たちによる会議が開かれた。これを扱った、1998年に放送された「NHKスペシャル」をベースにしたテレビ本。この会議の意義が大きいことは間違いないが、残念ながら本書は薄っぺらい。そもそも本が薄いことからもわかるように、取り上げる価値のある情報や視点が他にもいっぱいあるだろうということを予感させる。

 当時の米国防長官ロバート・マクナマラに関しては『反面教師アメリカ』にもかなり批判的な立場からの言及があった。そもそもこの対話はマクナマラのアイデアをきっかけとしているが、これが実現した背景には、回顧録『マクナマラ回顧録―ベトナムの悲劇と教訓』がベトナム国内で広く読まれ、率直に反省の態度を示しているマクナマラの人気が高まったという事情があったという。これに、経済発展を視野に入れて対米関係を改善したいと願うベトナム当局の思惑がからんだわけだが、依然としてベトナム戦争の記憶は微妙なようで、ベトナム国内ではこの会議についての報道があるていど規制されたらしい。

 アメリカ側には、ベトナム戦争の責任がベトナム側にもあったということを認めさせたいという思惑があり、ベトナム側には、今後の対米関係を視野に入れてアメリカから何らかの言質を取りたいという思惑がある。そういうわけでかなり不自由な感のある対話ではある。マクナマラを初めとするアメリカ側の出席者が、決していまのアメリカの代表者ではないということもあるにせよ、この対話は、本書の著者が言おうとしているような「平和に向けての努力」みたいなものというよりも、緊張を含んだ(戦争を含む)外交の継続であると言ったほうがいいという印象を受けた。であるから、この対話の中で示されているアメリカとベトナムの態度をそのまま真に受けるのは適切ではないだろう。いくつか興味深いこと。

 アメリカが空爆を続けたことがベトナム側の態度を硬化させ、秘密裡に試みられていた話し合いの機会が何度も失われた。しかし、これについてどれほど反省したとしても、今後、アメリカが基本的な姿勢を変えるとは考えにくい。そもそも話し合いの機会が失われたことを嘆いているのは、この戦争でアメリカが負けたからである。勝っていれば、無駄な譲歩をしなくてよかったという結論になっているのは間違いないのだ。湾岸戦争やユーゴスラビア紛争のケースからも明らかなように、アメリカは基本的に空爆を通して相手国にプレッシャーをかけるという戦法を信じており、精密爆撃の進歩、さらにはインフォメーション・ウォーフェアと名づけられた、その実は戦略爆撃に限りなく近いインフラストラクチャに対する攻撃の登場により、今後はこの戦法にいっそう拍車がかかると予想される。そのような戦法が小国を追い詰めるということを反省している様子はない。そもそも、そういう様子を見せたとたんに、アメリカ軍の優位性が失われるわけなので、政治的にそういうスタンスが取れないのである。

 著者は「平和」がどうこうと言っているが、本書を読んだ私はむしろ悲観的になった。たしかに、おそらくアメリカは今後も長い期間にわたってベトナムとは戦争を行えないだろう。また、密林地帯でのゲリラ戦に巻き込まれたり、戦力の逐次投入によって輿論の支持を失うというような愚挙ももう犯さないだろう。しかし、これらの教訓はひたすら「うまく戦争をやる」という方向に活かされるのである。また、このケースでベトナム側の言い分に重きが置かれているのは、「勝てば官軍」という言葉を思い出させる。もちろんアメリカの側には、資本主義体制と共産主義体制という、より大きな「戦い」の中で、どっちにしろ自分が勝ち組であるという余裕があるんだが。

 日本人としてはどういう教訓をここから抽出すればよいのだろうか。これは、この対話を読む個々の日本人が、アメリカ側とベトナム側のどちらに感情移入して読むかということとも関わってくるように思われる。

2000/5/6

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