韓国人の歴史観

黒田勝弘 / 文藝春秋 / 99/01/20

★★

妥当性が疑わしい

 著者は共同通信社ソウル支局長を経て、産経新聞ソウル支局長の地位にある人。韓国のメディアに現れる反日センチメントをおもしろおかしく紹介した本。『笑われる日本人』は、アメリカ在住で肩身の狭い思いをしている日本人がアメリカのメディアに現れる日本人像を批判する本だったが、こちらの方は、著者自らが韓国のメディアに「妄言」を発したとされて攻撃されたことがあるようで、いっそう中立性が損なわれているという感じがある。

 とにかく、韓国のメディアについてとやかく言う前に、日本のメディアを何とかしろと言いたい。

 次に、メディアに現れる観念を文字通り受け取っていいのかという問題がある。『The Rape of Nanking』の項などで述べていることだが、戦後日本の歴史を、海外メディアや海外に紹介される日本メディアの報道だけを通して見ていると、とんでもない像ができあがるのだ。

 最近では、石原東京都知事の「三国人」発言でこの問題の深刻さを痛感した。都知事が「三国人」を「外国人」と言い換えたのは、「三国人」の差別用語性を意識して、politically correctな「外国人」という言葉を使ったということなのだろう。しかし、この言葉は"foreigner"と訳されて全世界に配信された。その結果、日本在住のアメリカ人が、「いったん地震が起こったら、自衛隊に虐殺されるんじゃないか」と真剣に脅えるというような事態が出来したのである。「あなたは大丈夫ですよ。仮に自衛隊が誰かを殺すとしても、それは肌の色の濃いアジア人だけです。在日コリアンも安全です」などと慰めなくてはならないはめになる。でも、日本のメディアはあの事件以来、都知事の「三国人」、「外国人」発言の背後に、日本人の間に見られるアジア人蔑視があるということを十分に解説していないように思われる。すべての日本人がアジア人蔑視の態度を本当に持っている、ということではないが、そういう態度があって、都知事の発言の背後にそれがあるということが直観的にわかったということ、この暗黙的な知識を日本のメディアは報道しない(当たり前のことだから記述する意味がない、または政治的な正しさという立場から記述できない)。で、報道を通してのみ情報を得ている人が、日本のメディアに現れる言説だけをもとに世界観を構築していくと、奇怪な図ができてくる。というのも、事件の背後にある微妙な状況をすっとばして、(1) 「右寄り」のメディアは、メディア上のリベラルな言論がマジョリティであり、自らはマイノリティであるという意識から、外国人犯罪などのタームを使って都知事の発言の「真意」を支持すると挑戦的に述べ、(2) 「左寄り」のメディアは、都知事の発言は日本社会に強く根づいている広範な差別意識の発露であるとして、都知事の発言の意味を実態以上に持ち上げる。だから、外国人が「自衛隊に殺される」と真剣に思ったとしても不思議ではないのだ。

 おそらく多くの人は、メディアにあらわれる言説との間に微妙な違和感を抱いているはずだ。あえて言うとしたらこちらの方向になるだろうな、でも、細かいところでは微妙に違うよな、というようなずれがそこにある。しかし、メディア上の言説だけを情報源にしている人には、そのずれが感知できない。そういうわけで、日本における報道をベースにした世界観がいかに奇怪になりうるかを知っている私としては、韓国で報道された事柄だけをベースに作られた本書の韓国観を信用することができないのである。

 なお、日本との歴史的関係が理由で歴史認識が不自由になっているもう1つの例として、沖縄(『沖縄の自己検証』は面白い)。

2000/5/14

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