脳死は本当に人の死か

梅原猛 / PHP研究所 / 00/04/04

★★

弱いか

 著者は脳死臨調で少数派の立場に立った人。答申に少数派の意見が付け加えられたおかげで、臓器移植法のニュアンスが弱められたという点で、大きな功績があったと考えられる。本書はそのような著者が、哲学者(と言ってよいかわからないが)の立場から、脳死は人の死であるという立場に反論しようとする本である。しかし、この「哲学的な立場」からの反論は、『私は臓器を提供しない』と同様にきわめて弱いように思う。実に難しいトピックなんだということを痛感させられる。

 脳死臨調の少数派の4人(梅原猛、原秀雄男、光石忠敬、米本昌平(『知政学のすすめ』))の座談会と、柳田邦男(『脳治療革命の朝』)との対談、および臨調に提出された意見書が収録されている。

 『私は臓器を提供しない』の項で書いたように、私は、この「哲学的な立場」からの議論は、現実の前には無力であると思っている。ただし、さほど「哲学的」とは言えない試みの1つに、日本固有の文化(アジア固有でも世界普遍でもよいが)の間に、臓器移植や脳死を死とすることと整合性のない要素を発見して、それを主張するというやり方がある。もちろん、この「日本固有の文化」も、今後、臓器移植が活発に行われるようになったら変容していくので、無力と言えなくもない。一方、臓器移植の実践に関わるテクニカルな批判はいくらでもできるわけだが、ことがテクニカルであるだけに、それらは解決可能な問題として認識されてしまいがちだ。

 本書がそういうような流れに対抗できるだけの力強さを持っているかというと、どうもそんな感じではない。梅原猛は有名人だから、本書にもそれなりの力がある、という考え方もできるが、これもなんか違う気がするし。

 ところでこれを機に、TVで流れているドナー・カード促進のための意見広告(公共広告機構だったか)について苦情を述べておく。この広告にはいくつかのバージョンがあり、いずれも物凄く嫌な感じを受けるのだが、特に気に入らないのは若い女性が語尾上げ言葉で次のようなことを言うバージョンだ。「おかあさんが反対しているので、いまは持っていない。これからもっと勉強して、持つようにしていきたいと思う」。従来、この手の意見広告は非常にダサくて、輿論に与えるインパクトも限られたものだろうと安心していられたのだが、このドナー・カードの広告はある意味で洗練されており(といってもほんのちょっとだが)、実に忌まわしい。

 私は、臓器移植と脳死についてはおおむね現状では反対なのだが、臓器提供側の自己決定という線が守られればかろうじて賛成できる(逆に言えば、生前に本人が意思を表明していることは絶対条件だし、幼児の臓器提供を可能にするためにいま画策されている臓器移植法の改正には反対だ)。しかし上記のキャンペーンは、この線を崩そうとしているようで恐ろしい。

2000/5/20

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