封殺された対話

ペルー日本大使公邸占拠事件再考

小倉英敬 / 平凡社 / 00/05/24

★★★★★

大傑作

 解説の米谷匡史は本書を《衝撃の書》と呼んでいるが、まさにそのとおり。1996年から1997年にかけて、ペルーのMRTA(トゥパク・アマル革命運動)が日本大使公邸を占拠したが、本書の著者はそのときに公邸の中で人質にとられていた大使館員。その後、外務省を退職して学者になっている。

 本書は、この事件に関して、公邸内にいた人質としての立場からの証言だけでなく、ペルーの、また広くは南アメリカ大陸の民族問題の過去500年にわたる進展、現代ペルーの社会問題と左翼運動、フジモリ大統領が政権を握ってからのネオリベラリズムをベースにした政策が与えてきた影響、そしてこの問題に関する日本での言説のレビューなどの幅広いトピックを扱っている力作である。巻末の資料も充実している。

 占拠事件の進行中、メインストリームのメディアが全般的にペルーの体制寄りの報道をしていたのに対し、インターネット上ではMRTA寄りの情報提供も行われ、いい時代になったものだと感動した記憶がある。だが、本書の著者は、基本的にMRTAに同情的でありながら、この対立する2つの観点を統合した事情通の立場から事件を総括している。著者がMRTAに同情的なのは、必ずしもストックホルム症候群ではなく、もともとそういう性向の人だったからのようだが、MRTAのメンバーたちと直接に接触したこと、また彼らが処刑と呼ぶべき状況で殺されたことがその性向を後押ししたことは間違いなさそう。

 2000年5月末時点で、ペルーの政情は大統領選挙を巡って再び不安定になっている。本書にも人質の一人として登場するトレド氏がボイコット運動を呼びかけており、国際世論は全体としてフジモリ大統領に批判的だ。たぶん今後は、この文脈で大使館占拠事件とその対処の再評価が行われ、本書の著者のような立場が主流になっていくだろう。

 本書の重要な主張の1つは、あの事件の背後には、ネオリベラリズムをベースにしたグローバル経済の悪い面が、ペルーという経済発展途上国の上に結実したという事情があるということである。しかし、このことと、フジモリ大統領が1990年代のペルーにおいて果たした役割を単純に接続することは難しい。もともと、フジモリ大統領は、既得権益にしがみついている政党政治を打破する改革者として登場したわけで、ペルーにネオリベラルな市場経済を導入したことだけを見れば「功績」である。彼がそのような改革をする過程で軍部との関係を強めたということが、偶然の過ちだったのか、仕方のない選択だったのか、また、仮にフジモリ体制が先進諸国からの圧力に負けて崩壊した次の(おそらくは「民主的」な)体制でネオリベラリズムがどのように位置づけられるのか、事件の背後にあるという貧富の格差がさらに悪化するのではないか、あるいはもっとクローズドな経済になって、その結果また先進諸国からの非難が浴びせられるのではないかなどなど、予断を許さない状況だ。

 本書の著者は、ネオリベラリズムをベースにしたグローバル経済に全般的に批判的で、(変な風にはならない)ナショナリズムを醸成していくことの重要性を強調している。しかし、このところグローバリゼーション批判本を続けて読んでいる私は、このナショナリズムの落とし所を見つけるのはきわめて難しく、いったん流れが逆向きになったら、振り子はかなりまずいところまで振れかねないと思っている。特に日本では、この「逆向き」トレンドには従来の左と右の両方が飛び乗り、挙国一致体制になりかねない。『グローバル経済が世界を破壊する』の項でも書いたように、日本は、現在のポリシーをさらに追求すれば世界から非難され、逆向きトレンドに入れば悪いナショナリズムに陥りかねないという厄介な事態に置かれている。

2000/6/2

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