東電OL殺人事件

佐野眞一 / 新潮社 / 00/05/10

★★★

これはとはまた別の本が必要

 1997年に起こったいわゆる「東電OL殺人事件」に関するルポルタージュ。本書は1997年6月号から1999年11月号までに『新潮45』に断続的に掲載された文章をまとめたもの。事件発生、容疑者の逮捕と起訴、そして2000年4月の無罪判決までの期間に同時進行的に書かれた文章なので、事態の進展状況を把握するのには良いのだが、事件の全体像を網羅的に論じたものではないため、どうもいまひとつ不満が残る。個人的には、メディア上での報道にほとんど触れていなかったので、特に被害者の人となりについては本書を読んで初めて知ったことが多かった。が、その分析とか扱い方についてはやっぱり疑問を感じざるをえない。早い段階から冤罪説を唱え、それに沿った調査を行って発表を行ってきたことはジャーナリストの仕事として高く評価するべきだが、この著者の姿勢からして仕方がないとはいえ、近代/現代の日本社会の闇という伝奇小説的な話に持っていきたがる傾向は、この事件にはそぐわないんじゃないかと思った。

 結局、一連の出来事を総括する別の本が必要である。真犯人が判明していればそれに越したことはないが、それがなくてもかまわない。

 この事件に関するいくつかの感想。

 冤罪事件として。これは、警察の古い体質と、おそらくは外国人に対する差別的な意識が組み合わさって起こった冤罪事件である。普通の人ならば、この古い体質がどれほど残っているのか、外国人の扱いがそれによって強化されたていどはどれぐらいなのか、といったことを知りたいと思うだろう。数々の「陰謀説」が流れたのは、今回の警察と検察の手口が、いまの日本ではすでにありえないような不自然なものであるという印象がメディアや一般市民の間にあったからなのではないかと思う。乱暴な取り調べがいまでも行われていることは間違いないが、被疑者の無罪を示唆する証言ができる証人の口を塞ぐというのはいくらなんでも変だというあたりなんではないだろうか。

 その陰謀説について。巷で言われているような陰謀が行われたのだとしたら、ぜひとも誰かにその真相を解明してもらいたいものだ。仮にそのような陰謀がなく、警察が勝手に暴走したのだとしたら、この事件の捜査はかなり早い段階から深刻な問題を抱えていたということになる。本書を読んだ印象では、逮捕され起訴されたネパール人ゴビンダ・プラサド・マイナリが被害者のことを知らないと嘘をついたことが、警察に先入観を与えたのだと思われる。今後、外国人が捜査の対象となるようなケースでは、いままでのように取り調べのときの様子とか自白を重視するタイプのアプローチは、勘違いを生み出す可能性がある。

 被害者について。本書のような推測と一般化はちょっと乱暴なんではないかと思う。生前の彼女に接触していた人々の証言は、たしかに奇矯さを示唆しているけれども、浮かび上がってくるのは不幸せというよりは幸せな人物像なんじゃないだろうか。夜の仕事に取り組む態度の勤勉さから、「自罰行為」みたいなものを連想しがちだが、ごく平凡な意味で面白くてハマっていたのかもしれない。たとえば私が何か「事件」を起こし、このwebサイトの存在が発覚したとして、サイトの更新頻度を見たふつ〜の人は自罰行為、現実逃避、その他さまざまな精神分析的な推測をするかもしれないが、私は単に面白くてこれをやっているのであり、生活の他の部分でもかなり満足のできる平穏な生活を送っていると思っていることをここに明言しておく。

 売春の業務上のリスクについて。統計データを持っているわけではないが、日本はアメリカと比べて売春業に就いている人々の生命・身体のリスクが格段に低いように思われる。今後、日本がアメリカの状況に近づくことが避けられないとすれば、売春婦を専門とする快楽型のシリアル・キラーが何人も現れるだろう。日本はアメリカほどの車社会ではないので少しばかり厄介だけれども、「人を殺す経験をしてみたかった」なんて思っている人々は、わざわざ一般市民を殺さなくても、売春婦をターゲットにすれば、警察の側も勝手に勘違いしてくれて逃げおおせることができるという教訓を、今回の事件から学んでしまったに違いない。外国人が多い地域でやれば確率もアップ。

2000/6/2

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