「社会調査」のウソ

リサーチ・リテラシーのすすめ

谷岡一郎 / 文藝春秋 / 00/06/20

★★★★

バランスの取れた面白い読み物

 ミスリーディングな統計データを警戒せよと説く「と学会」的な本はよくあるが、本書は社会調査一般の計画法に焦点を当て、これに関する知識を副題にあるように「リサーチ・リテラシー」と呼んでいる。メディアに取り上げられたミスリーディングな調査結果を多数引用し、どこに誤りが含まれているのかを指摘している挑発的な本。日本では生データが公開されることが少ないことを嘆き、もっとデータを共有すべきだと主張している。

 「と学会」的な本は、勢いのあまり、自ら信頼性を損なうような主張をしてしまうことが少なくないが、この本はまともな範囲である。しかしそれ以前に、そもそもこの国に、メディアに現れる「数字」をそのまま信用している人がどれほどいるのだろうか。「日本論」の1つのパターンに、西洋人は統計データを援用して議論を進めることが多いのに対し、日本人はそのような習慣があまりない。もっと、事実と数字に即した議論を行うべきである。というような主張があると思うが、これは要するに日本人があまり統計データを信用していない、ということの裏返しである、と私は思ってきた。これはちょっと言い過ぎかもしれないが、統計データに頼りすぎる議論は、その主張に対する自信のなさを示している、と思ってしまう感性が存在しているかもしれない。自信があるならば、数字なんか出さなくても主張できるはずだ、と。

 もちろん、安心して引用できるデータが容易に入手できるようになっていればそれに越したことはないのだが、本書の著者が「この国の調査の過半数はゴミである」と言っていることからわかるように、私のような素人は、「すべての調査が信用できない」という態度を取った方が安全である、と思っている。最近では、経済企画庁のGDPの数値がおかしいという指摘がアメリカのメディア上でなされ、あわてて訂正したという事件があった。経済企画庁長官は記者会見で、この操作(民間設備投資の99年10〜12月の見込値と実績値が大きく乖離したため、通常は実績値の方が採用される二次速報でも見込値の方を採用した)についての解説は広報資料にちゃんと書かれており、経済企画庁としては別に隠蔽工作はやっていない、日本人にとってこの件が「ニュース」になったのは、日本のメディアがちゃんと報道していなかったからだ、と反論した。私は経済統計の専門家ではないので確かな判断はできないのだが、冷静に考えて、経済企画庁の主張にはある程度の正しさがあると思われる。

 本書も、メディアが統計データを自ら検証せずに無批判に報道することの問題点を指摘している。

 もちろん、個々のメディアが、自らの政治的姿勢を補強するような形で統計データを利用するという問題についても手厳しく批判している。まあしかし、このことは新聞の読者はみんなわかっているからことだ。私はむしろ、メディアが検証なしで報道しているということの方が重大だと思っている。これは記者クラブ経由での広報発表の垂れ流しと同じ根から発している問題である。

2000/6/24

TRCの該当ページへ

検索ページへ 目次へ 前へ 次へ