文化の経済学

日本的システムは悪くない

荒井一博 / 文藝春秋 / 00/06/20

★★★★

日本的システムを再評価する試み。頑張っていただきたい

 著者は文化的な現象に経済学を適用することに関心を抱いている人のようだ。本書は、新古典派経済学を支持する人たちの「誤り」は、経済と文化が相互作用するものだということを失念して完全に文化から独立した「経済人」を想定するところにあると主張し、終身雇用制などの「日本的システム」に経済学の枠組みの中で合理的な説明を与えようとする試みである。具体的には、「終身雇用制は従業員間の長期的な協力ゲームを促進する」みたいな言い方をしている、といえばわかっていただけるだろう。ちなみに、一般によく言われている、ある種のパターンの「終身雇用制の弊害」は、派閥行動によって引き起こされるものであり、これは必ずしも終身雇用制の必然的な結果ではないと論じている。

 まあ、そういうことは、普通の人ならば「ゲーム理論」を援用しなくても普通に理解していることではあるわけだ。『市場の秩序学』という本で、消費者が行う効用の最大化はNP困難の問題であり、消費者が効用を最大化しているという仮定は誤りである、という議論を読んで驚いたことがあったが、それと似たような話である。

 経済学のアカデミアと無縁の人ならば、「そんなわけないじゃん」の一言で済ませてしまうようなことに必死になって理論付けをする、そういう活動は、まあご苦労さまとしか言いようがないものだが、本書で取り上げられているような問題については、これを行う価値が十分にあるように思えた。というのも、明確にアカデミックに言語化されている新古典派経済学の前提を突きつけられて、日本文化を内面化している人々が口ごもっているというのが最近の情勢であるように思うからだ。本書のように「ゲーム理論」なるものを援用することが可能である、というヒントを与えられれば、反論の声ももうちょっと出やすくなるだろう。

 本書では、アメリカ型の合理的な個人から構成される社会と、日本型の安心社会なるものの対比を強く押し出している。これは、著者が反論の対象としている言説のことを考えればとうぜんのことではある。しかし著者も述べているように、この対比そのものに大きな意味があるのかどうかは難しいところだ。たとえば、『競争力』では、1990年代の(一部の)アメリカ企業の成功の理由の1つに、日本型経営(「ジャスト・イン・タイム方式」とか「従業員参加型の工程」)をうまく取り入れたということがあるとはっきり述べられている。ここまであからさまなものに言及しなくても、たとえば高く評価されている「権限の委譲と組織のフラット化」は、実のところ日本型の安心社会の姿の方に似ているはずだ。著者の「終身雇用制の弊害」に対する反論の真似をすれば、日本型のボトムアップ・アプローチの「弊害」は、そのアプローチそのものの本質的な欠陥ではない。このアプローチをうまく使えば、アメリカでも流行っている「権限の委譲」になるのである、と主張することができそうだ。

 なお、ゲーム理論を援用するのであれば、日本型の社会の中に新しく「合理主義的な個人」の戦略をとる人々が現れてきたときのダイナミクスという面にも目を向ける必要があるのではないか。私にはゲーム理論はかえって、日本型システムの(かなりの規模の)崩壊を予言しているようにしか思えない。

2000/6/24

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