ブックオフと出版業界

ブックオフ・ビジネスの実像

小田光雄 / ぱる出版 / 00/06/26

★★★

これはきつい

 『出版社と書店はいかにして消えていくか』の著者が、急速に成長している新古書店のフランチャイズ・チェーン「ブックオフ」について書いた本。『出版社と書店はいかにして消えていくか』は、日本の出版業界の再販制と委託制の歴史と、その歪みがもたらしている問題を解説する興味深い本だったが、「文化を担う良い本を出している中小出版社」への思い入れのあまり、そのような出版社の業績不振を読者の側に責任転嫁するピント外れの内容も持っていた。なお、『出版現実論』は、こういうタイプの主張のピントの外れ方に絶望して逆の方向に走ったが、未練が残っている、という感じの著者による本。

 前著で再販制と委託制を批判していたのだから、ブックオフを擁護してもおかしくはないと思うのだが、本書は新古書店を「パラサイト」呼ばわりして強く非難している。下で述べるように、この議論にはかなりの無理があるから、ブックオフの脅威を宣伝することで既存の出版業界に警鐘を鳴らすことを目的とする戦略と割り切って読んだ方がいいのかもしれない。

 私はブックオフを利用したことはなく、単なる好奇心で1回だけ店内を覗いたことがあるというていどの部外者である。その私は、本書のブックオフに関する(やたらに攻撃的かつ批判的な)記述を読んで、ブックオフの姿勢を支持したくなった。すなおに理解すれば、ブックオフは書籍の再販制と委託制がもたらしている歪みを衝いて、大きなマーケットを創出し、消費者に利益をもたらしたベンチャー企業であり、本書の著者の姿勢は、既得権益を持っている人が新しく出てきた企業家を潰そうとする典型的な攻撃である。ブックオフのフランチャイズ・スキームに対する批判を繰り広げているけれども、大きなお世話としか言いようがない。

 著者はブックオフを出版業界のパラサイトと呼ぶが、このロジックで行くと、世のリサイクル事業はすべてパラサイトということになる(デジタル・テキスト信奉者のロジックから言えば、書店も流通もパラサイトなのだが)。このあたりの感性の裏には、物作り信奉とでも言うべき古い体質があるのだろう。サービスとか情報に価値を見いださず、物としての「本」とその流通にのみ価値を見ている。だからこそ、古いタイプの古本屋は擁護してブックオフを批判するという知的離れ技ができるわけだが、旧来の古本屋もとっくの昔から新古書と雑本を扱っていた。ブックオフの商売が「価格破壊」になっていることには、単に価格カルテルから自由だという意味しかない。

 『出版社と書店はいかにして消えていくか』の項で、著者の持つ「近代読者」の概念に触れたが、本書ではこの概念が具体的に論じられている。28ページの、小尾俊人の『本が生まれるまで』からの引用箇所。

五〇〇部から三〇〇〇部の部数を支える読者人階級というものが、明治いらいの日本の近代化の過程で形成されてきた。新聞・雑誌・単行本の筆者たち、大学の先生たち、それに都会へ集まってきた学生たち、村の先生や寺の住職・神主など、文字に親しむ点で共通な一つの世界―ここに一つの公衆(パブリック)が現れた。それは一つには日本の印刷人や出版人の協力の結果といえると思う。

 著者もこの「読書人階層」という概念に同意し、これが解体されて、「消費者に限りなく近い現代読者」が現れたことが、日本の出版業界の低迷の一因であると述べる。

 『出版社と書店はいかにして消えていくか』で述べたことと重複するが、私の考えでは、実際に起こったのはこういうことだ。「読書人コミュニティ」はあるていど解体されたかもしれないが、読書人なるものはいまでも存在するし、ここに挙がっている「五〇〇部から三〇〇〇部の部数」という数字よりは多く存在するだろう。しかし、昨今の書籍の発行点数に比例しては増えなかった。個々の読書人は、書籍の発行点数に比例して読書量を増やすわけにはいかないので、必然的に、読書人階級全体で読まれる本の数は発行点数ほどに伸びず、個々の本の売れ行きは低下する。きわめて簡単な話だ。

 著者の勘違いは、「近代読者」とか「読書人階級」よりはむしろ、「読書人コミュニティ」なるものを念頭に置いているところにあると思う。この世界観では、出版社の編集者や大学の先生が「近代読者」が読むべき良書のリストを決定し、それが新聞の書評欄で取り上げられ、「良心的な書店」がそれを棚に並べ、読者はそれを買うという回路が存在する。このような回路はもはや有効ではない(とは言いながら、この回路が衰退しながらもかろうじて機能しているから、幻想にしがみつく人たちが残っているわけだが)。この回路の弱体化は、「読者の現代的な消費者化」などという表現よりも、「読者からそっぽを向かれた」という表現の方が適している。もちろんそのような回路に対するブランド信仰を持たない人々を「消費者に近い現代読者」と定義してしまうのならそれはそれでかまわないんだが。

 ちなみに、著者が私の読書メモのタイトル一覧を見たら、これを典型的な現代読者の読書傾向だとみなすことだろう。「近代読者」の読むべき本に該当しそうなものは、『受難物語の起源』まで遡らないと出てこないと思う。しかし、それ以降に登場する、私が5つ星をつけている本の中には、どれだけ大衆迎合的に見えたとしても、『受難物語の起源』に勝るとも劣らぬ重要性を持つものがいくつも存在する。そういうもの(大手出版社から出される「大衆迎合的」な受け狙いの本)との競争の怖さを「良書」の信奉者は強く認識するべきだ。とまあ、これは「良書」の信奉者が考える「良書」の定義を狭くとった場合の反論。逆に、たとえば『封殺された対話』あたりを「良書」に入れていいのだとしたら、いまの日本は良書で溢れ返っていると言ってよい。私の実感はこちらの方だ。これだけたくさん「良書」が出ていたら、個々の本の売上は落ちるだろうな、と。

 文学を含むフィクションについては、イデオロギーの問題なので話は別。

 なお、110ページに、新古本産業一般について次のような記述がある。

あの資料は九八年のものでしたが、その後急成長しています。特にブックマーケットを展開するフォーユーと古本市場を展開するテイツーです。いずれもブックオフの影響を受けてフランチャイズ展開をしています。九九年にはフォーユーは一六五店、売上三六億円、経常利益四億円、テイツーは四二店、売上七三億円、経常利益三億円となっています。テイツーはブックオフに先駆けて、九九年九月に株式公開をしました。その株価は売り出し時に一株四〇〇万円の値がつき、現在では二〇〇万円台で推移しています。
書店で株式公開している丸善が二〇〇円台、文教堂が三〇〇〇円台ですから驚くべき高値です。バブル価格と考えていいと思いますが、投資家たちがこの新古本産業をいかにあおっているかわかるでしょう。

 とうぜんながら、丸善と文教堂の株式の額面が50円なのに対し、テイツーのそれは50000円なのである。Yahoo Financeの株価情報、テイツー丸善文教堂をそれぞれ参照。

 これらのうちどれが「高い」かは難しい問題だ。文教堂は2000年8月期に2年ぶりの黒字が予測されていて(1株益36.7円)、これをベースにしたPERは40弱ぐらい。丸善は2001年3月期に1年ぶりの黒字が予測されていて(1株益7.8円)、これをベースにしたPERは30弱ぐらい。テイツーは順調に増収増益を重ねており、2001年2月期の1株益は72402円。これをベースにしたPERは30強ぐらい。この3つの銘柄はぜんぜん性質が違っており(特にテイツーは店頭市場のマーケットメイク銘柄で取引数が極端に少ない。一方、丸善はつい最近まで日経225採用銘柄であった)、どんな指標でも妥当な比較をするのは難しいが、PERだけを見れば、投資家の評価は文教堂が高く、丸善とテイツーは同じぐらいだと言うこともできる。なお、出版業界は一般に「IT革命」とか「E-コマース」などとの親和性が高いと見られている分だけプレミアムが高くなっていると考えられ、文教堂と丸善のPERは「書店」としてのバリュエーションを反映したものではない。将来のB2CのE-コマースへの本格進出と、インターネット上でのコンテンツ・プロバイダへの変身が織り込まれていると考えるべきだろう。その意味で、「バブル」は文教堂と丸善の方にあり、テイツーのバリュエーションはけっこう控え目に思える。などと証券アナリストのようなことを言ってみたがどうなんでしょうかね。いずれにせよ「投資家たちがこの新古本産業をいかにあおっているかわかるでしょう」というのは的外れ。

 ブックオフのサイト

2000/6/30

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