不平等社会日本

さよなら総中流

佐藤俊樹 / 中央公論社 / 00/06/25

★★★★★

興味深い内容

 1955年から10年おきに実施されている「社会階層と社会移動全国調査」(SSM調査)をもとに、日本の社会階層が固定されつつあると論じる本。いろいろな論点があるが、一番大きく強調されているのはホワイトカラー雇用上層(W雇上)が親子間で継承されやすいということである。戦後日本ではいったんW雇上がそれ以外の出身家庭の人々にも開かれたが、団塊の世代になって、W雇上出身者がW雇上になる比率が高まった(W雇上の人口自体は増えており、非W雇上出身者からの流入も増えているが、W雇上内での再生産の比率が高まった)。ちなみに、W雇上は「専門職と管理職の被雇用」、W雇下は「販売職と事務職の被雇用」。その他のカテゴリーは「全自営」、「ブルーカラー雇用上層」、「ブルーカラー雇用下層」、「農業」である。

 興味深い話なのだが、SSM調査の結果の解釈と、そこから引き出される教訓にいくつか疑問がある(単なる疑問であり、反論とか批判ではない)。

 W雇上の世代間継承について。58ページの図2.4と図2.5や、91ページの図3.8のような、W雇上の再生産の比率が団塊の世代で急増している傾向について。この図は「40歳の時点でW雇上についた比率」を示しているので、前回の1985年の時点では、団塊の世代の人々はこの数値に寄与せず、1995年の時点で急に寄与するようになったと思われる。また、1985年から1995年にかけての社会の変化はかなり大きいものだったが、ホワイトカラーの雇用関係について言えば、1980年代からすでに「もう誰もが部長になれる時代は終わった」ということが言われ始めていた。これは単純に、高度成長期の大企業の大量雇用に見合うだけの管理職ポストが存在しないという理由からだった。その後、1990年代に入ると、不況を原因とするリストラのせいで、管理職ポストそのものの削減が言われるようになったが、同時に「ホワイトカラー専門職」なるものの拡大も唱えられるようになった(どちらも掛け声だけで、現実はまだ十分には変わっていないかもしれないが)。

 このように、1995年の調査には、「団塊の世代」と「平成不況とそれに伴う社会の変動」という2つの大きな要因がもろに、しかも初めて反映されているので、この調査の結果から長期的トレンドを読み取るのは時期尚早ではないかと思う。この大変動の中でW雇上の父親を持つ人間が有利に立ち回ることができたのはどうやらたしかみたいだが、変動の時期が終わったときもこのトレンドが続くかどうかはまだわからない。

 157ページの表5.1は、「35歳以下男性における「パソコン・ワープロの所有」との相関係数」を示したものだが、ロジスティック回帰分析の結果では、パソコン・ワープロの所有(1995年時点)に関連するのは「父主職」と「本人現職」だけだったという。著者は170ページで、この結果を、W雇上の階層の固定化を補強するデータとして利用しているが、これはちょっと難しいのではないだろうか。たしかに表5.1は、父親の職業が子供の情報リテラシーに影響を与えることを示唆しているが、団塊の世代の人々が、その父親たちのおかげで情報リテラシーを獲得したために、W雇上の固定化を引き起こしたとは考えにくい。いまの世の中で情報リテラシーと言われるような何かを得たのだ、または、いまの世の中で情報リテラシーを獲得するトリガとなる性質を持ったのだと言うことは可能だろう。しかし単純に、ホワイトカラー労働者はコンピュータを使っている比率が高いから、それを自宅に持ち込むことが多く、その子供もコンピュータに触れる機会が多かったというような因果関係が大きいんじゃないかと思う。こういう因果関係は団塊の世代とその親たちの間にはなかったはずである。もちろん、「今後」は、この情報リテラシーの格差が職業階層や収入の格差に影響を与えるだろうけれども、それは単にこれからはITの時代だからである。

 第四章と第五章で行われている考察は非常に良心的であり、うまく書かれていると思う。しかし、ものすごく根本的なことを言わせてもらえれば、「W雇上が世代間で再生産される」ことの原因まで遡って考えれば、その原因を完全に解消するためには、生まれた子を家庭から引き離すしか手段がないのである。これをやらない以上、世の中で言われる「機会の平等」は偽善であるし、「機会の平等」が存在するという観念自体が、生まれのせいでハンディキャップを背負っている人々を苦しめることになると私は思っている。「社会は公平ではない」という観念が既存の不公平さの正当化に使われてはならないことはもちろんだが。

2000/6/30

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