不良のための読書術

永江朗 / 筑摩書房 / 00/05/10

★★★

どうも中途半端な啓蒙エッセイ

 1997年に出版された本の文庫化。あんまり本を読んでいない人に本を読ませようとする切ない試み。もっと気軽に本を読もうよ、という主張と、出版業界の現状の紹介から成る。「文庫版あとがき」として、2000年の時点の状況を反映させた短い文章があるが、この時期に急速に発展したインターネット関連の話をよくフォローしている。タイトルにある「不良」はかっこつけで、著者も所詮は真面目な知識人である。

 この「不良」という言葉はいくつかの意味で使われているが、一番重要なのは、著者が「ゴダール式読書」と名づけているもの、すなわちサンプリング的な読書、1冊の本を読み通すことに価値を見いださないという態度の肯定である。これはハイパーリンクとデジタル・テキストの時代と整合的であり、今後このような態度を肯定的に捉える人は多くなっていくだろう。まあ「ポストモダン」なんて言わなくても、新聞・雑誌はずっと前からそういう風に使われてきたわけだ。今後はそれ以外のカテゴリの文章にも、断片化されたときの利用価値が追求されるようになる可能性がある。

 まあ実際のところ、いくつかの断片以上の、構築物としての価値を持っている書物は多くないのである。『出版社と書店はいかにして消えていくか』『ブックオフと出版業界』の項で述べた問題意識と絡めて言えば、書物はもっと薄くなってもいいのだが、出版社側の都合で無駄に分厚くなっている場合がある(紙のコストが相対的に低く、分厚い方が高い定価を付けることができ、その定価が再販制によって保証されている)。この読書メモで取り上げているものの中にも、原稿用紙2、3枚に要約しても十分だと思われる本が少なくない。

 もし本当に「テキストの価値」を競争するつもりがあるのなら、その競争は、上で述べたような出版社側の事情がないデジタル・テキストの分野で最も効率的に行われるだろう。デジタル・テキストでは、同じ内容を展開するのであれば、コンパクトにまとまった文章の方が歓迎される。デジタル・テキストであるにもかかわらず歓迎されている長いテキストがあれば、そのテキストには断片以上の、構築物としての価値がたしかにあると考えられる。

 文学を含むフィクションについては話が別。以下、私見。映像メディアと活字メディアを比較して、「活字の方が想像力を働かせる余地がある」とか「映像ばかりだと想像力が失われる」などと言う人がいるが、そのような人は単に「映像を見て想像力を働かせる」方法を知らないだけである。言葉が適切かどうかわからないが、明らかに「映像的教養」に欠けている人というのは世の中にいるものだ。あと個人的「文学論」ないしは「芸術論」をさせてもらうとすれば、「想像を喚起する」作品はどちらかといえば甘いわけで、真に力を持つ作品は受け手に想像の余地すら与えず、それ単独で受け手を打ちのめすものだ(その「力」が芸術の唯一の属性とは言わないにせよ)。

2000/7/8

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