日本人を知らないアメリカ人アメリカ人を知らない日本

加藤恭子、マイケル・バーガー / TBSブリタニカ / 99/12/20

★★★★★

時事的な内容は古いが、基本的姿勢はいまでも有効

 初版は1987年だが、1990年に新版が出て、1999年に内容を変えずに新装版が出ている。日本とアメリカの両国についての知識と経験が深い2人の著者が、対談やアンケート回答の分析などを通して、日本人とアメリカ人の間の認識のギャップを指摘し、改善策を論じ合う本。ただし、もともと1987年から1990年にかけて作られている本だけに、取り上げられている時事的な内容はまったくの時代遅れになっている。なんせ本書で取り上げられている問題は、「日米間貿易摩擦に加えて、日本企業によるアメリカの企業やビルなどの買収などのせいで、アメリカ人の間に反日的な態度が現れてきている」という類いのものなのだ。出版社が1999年に内容を変えずに新装版を出したのは快挙と暴挙のどちらと言うべきなのだろうか。

 10年の時を経て、変わったこともあれば変わらないこともある。

 認識のギャップについて、最近経験した事例を1つ。日本に長く滞在しており、例に洩れず日本人に対して日常的に苛立ちを感じているアメリカ人が、「日本人は、日本人は外国人のことを理解することができ、外国人には日本人のことが理解できないと思っている」と言うのである。後半の部分については、「外人さんにはやっぱり日本のことはわからないからなあ」というような言い方がよくあるから、まあ当たっていると言っていいだろう。しかし前半部分はあまりそういう感じがしない。なぜこういう認識ギャップが生じたのかということを考えていて、コミュニケーションのスタイルに行き当たった。

 日本人が(特に日本語で)話すときには、「あなたのおっしゃっていることはわかります」と明示的に、または暗黙のうちに伝えるのが、いわば1つの礼儀となっている。他人の立場を理解し、尊重することが正しいこととされているからである。だからといって、というよりはむしろそれだからこそ、受け手の側は、相手がそういう態度をとったときに、その人が他人(というかこの私)の立場を理解しているという風に受け止めることはなく、単なる作法であると受け止めるようになっている。ところが、こういうプロトコルが存在しない社会の出身者が日本人と(特に日本語で)コミュニケーションをした場合には、日本人のそういう作法を真面目に受け取ってしまう可能性がある。

 上記の事例で、本当にこういうメカニズムが働いたのかどうかはわからないけれども、こういう、あるいはこれに類したメカニズムはいくつも働いているだろうなと思った次第。多くの文化論としての日本人論は、「日本人にもいろんな人がいるんだよ」という反論をするだけで十分に論駁できてしまうけれども、この手のメカニズムは、その文化の言語にビルトインされていると思われるからかなり普遍的である(もちろん日本人にも、「他人の立場を理解する」という態度をとらない人もいるだろうけれども、そういう人は社会不適応者または超強力な権力者だろう)。

 ここでのキーは、「他人の立場を理解する」という態度が正しいとされていることとセットにして、「そのような態度を真面目に受け取らない」という姿勢がある、ということである。この例に限らず、ある明示的な風潮があるときに、それに対する暗黙の対抗力が存在するということは案外見落とされやすい。

 関連するかもしれない本として『日本語の外へ』『Different Games Different Rules』

2000/7/15

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