「リサイクル」汚染列島

「環境」にも「身体」にも悪いリサイクル社会の危険性とは

武田邦彦 / 青春出版社 / 00/07/25

★★★★★

平易に書かれている好著

 著者の前作『「リサイクル」はしてはいけない』(未読)は大きな反響を呼んだとのこと。本書はこの前作の続篇にあたるのだろうが、おそらく重複する記述も多いのだろう。本書には「ちょっと行き過ぎでは?」と思えるような記述も見られるが、前作はもうちょっと穏当だったのかもしれず、本書での行き過ぎは前作に対する攻撃への反作用と理解するべきなのかもしれない。

 本書は「リサイクル」をはじめとするゴミ行政の問題点を指摘する本である。ごく基本的な問題点(リサイクル品に有害物質が混入する可能性と、リサイクルを行うことで「ゴミ」が増えるという問題)を平易な言葉で解説した後に、リサイクルが国際経済に与える影響、ライフ・サイクル・アセスメントの「人件費」の取り扱い、専門家/科学者としての倫理、ゴミを一括焼却して「人工鉱山」を作るべきだという提言など、かなり踏み込んだレベルまでの議論を行っている。科学的な概念とか製造プロセスについての知識がない人にも気楽に読める本を書こうとする態度が非常に好ましい、良い本である。「帳簿の付け替え」とか、「月給組の資源と遺産組の資源」みたいな、使えそうなタームも入手することができた。

 なお、この読書メモでは、リサイクル関連の話題が出ている本として、槌田敦の『環境保護運動はどこが間違っているのか?』と熊本一規の『ごみ行政はどこが間違っているのか?』を取り上げている。熊本は、槌田のリサイクル批判に反論して、(特に紙のリサイクルに議論を限定して)需要の増大を対処法として述べ、リサイクルを肯定している。本書の武田は、ごく標準的なリサイクル批判論に準拠して、(リサイクルの有効性が自明な鉄などの例外を除いて)ほぼすべてのリサイクルを批判している。『ごみ行政はどこが間違っているのか?』の項でも述べたように、熊本の議論はちょっと一貫性に欠けており、「政治的」な立場ゆえに生じた歪みが見えた。ただしあとがきからすると、熊本も、最近になって成立した一連の「リサイクル法」を受けて自らの立場を修正する可能性があると思われる。

 「人工鉱山」の話が面白かったので、概略を書いておく。ゴミは一部の例外を除いていっさい分別せずに焼却する。その過程で出る熱を利用し、灰は資源が枯渇したときのために「人工鉱山」として貯めておく。日本は資源の乏しい国であるが、建築物などのインフラストラクチャとして巨大な資源を蓄えているのである、みたいな言い方があるけれども、これは、出されたゴミを再生利用のしやすい形に変換して貯めておき、その過程で石油資源の有効活用を行うという一石二鳥を狙ったアイデアである。別にいま灰にしなくても、そのままの形でどこかに埋めておき、資源が枯渇した時点で掘り出して再生利用するという戦略でも大した違いはないような気がするんだけれども、まあ興味深い。「人工鉱山」の方が管理しやすいというのはありそうか。

 なお、『ごみ行政はどこが間違っているのか?』の項で書いたことと重複するが、リサイクルに関する私の考えをまとめておく。世の中で言われているリサイクルがまずいのは、ひとえにリサイクルに要する費用が外部化されるからである。この点で、本書の著者が、いわゆるリサイクル運動が暇な主婦の労働力を前提としていることを批判していることには大いに共感する。ある特定の資源をどうしてもリサイクルしたいのであれば、そのように外部化されている費用を企業がすべて肩代わりしたときの再生品の価格と等しくなるように、非再生品に対して課税する、という方法しかないように思う。一部の企業が行っている、部品を回収して再利用するという仕組み(使い捨てカメラとかコピー機のトナーなど)は、実質的にこれと同じことである(再生品を新品と同じ価格で売っているから)。これはもちろん、対象となる製品のシェアが大きく、一企業がそういう計画を立ててもフィージブルであるから可能になっているわけで、そういう体制を作ることができない製品については、リサイクルのコストを税を通して企業側に転嫁するしかないと思われる(環境税については、『環境税とは何か?』を参照)。

 このような「リサイクル税」が掛けられると、リサイクルがしやすい製品を作るというインセンティブが企業側に生まれる(リサイクルしやすければ再生品の価格は安くなり、リサイクル税も少なくなる)。また、リサイクルのプロセスのコストを下げるというインセンティブが生まれる(したがって、リサイクルを行うことによって生じる無駄が削減される)。また、再生品の相対的な価格競争力が高まるため、再生品がまともに流通する(非再生品の品質の高さを考慮して、その分だけリサイクル税を多めにかける必要があるかもしれない)。

 この方法では、著者が指摘している「再生品への有害物質の混入」とか「再生品の品質劣化」の問題は解決できない。これはリサイクルを行う以上は避けられない本質的な問題だろう。また、このような税金はとうぜんながら全体的な経済効率を低下させる(いわゆる「自由市場が歪められる」というやつ)が、これにともなって価格が上がり、消費が抑えられるという効果がある(よく指摘されるように、価格上昇なしの「リサイクル」は、消費者により多くの消費をさせるための宣伝文句として使われる傾向がある)。『ごみ行政はどこが間違っているのか?』の項で述べたように、リサイクルはほとんどの場合、資源とエネルギーの収支を考えるとマイナスになるので、資源問題や環境問題の解とはなりえない。必要なのは全体の消費を抑えることであり、リサイクルという概念を通して、消費を減らすような政策が実現可能である、ということがこの概念の唯一の使いみちである、と言ってしまってもよいぐらいである。

 もちろんのこと、こんなリサイクル税はいまの日本ではとうてい成立しないだろう。リサイクル税の対象品目となった製品は致命的なハンディを負うことになるから、企業は自社の商品を対象から外そうとして必死になる。また、結果としてリサイクル不可能な代用品がシェアを獲得し、その代用品の消費量が増えるという悪い結果を生み出してしまうかもしれない。

 だからたしかに本書の著者や槌田敦が言うように、リサイクルはやらないという態度を貫くのが一番合理的かつフィージブルなのだろうなと思う。念のため書いておくが、ここで言っているのは、いま行われている形のリサイクルであり、テクノロジーの進歩によって環境に本当に優しいリサイクル手段が出現する可能性はある。また、著者の提唱する「人工鉱山」もリサイクルの一形態である。

2000/7/28

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