だいたいでいいじゃない。

吉本隆明、大塚英志 / 文藝春秋 / 00/07/30

★★

何をやっとるんだ! という感じ

 吉本隆明と大塚英志の、数回に分けて行われた対談を集めたもの。『私の「戦争論」』は、分析的知性の持ち主(田近伸和)が老人(吉本隆明)のrelevantな知識を掘り出すために行ったインタビューだったが、この本は分析的知性とあまり縁のない不安な若者(大塚英志)がボケ老人(吉本隆明)と一緒になってボケ・スパイラルとでも言うべき無駄話をしている対談集である。ふつう、本になるような対談とか鼎談とか座談会では、個々の参加者が虎視眈々と何かしらかっこいい発言をしようと狙っているものだが、この本の参加者二人はそういうあざとさを超越した地点にいるような感じだ。吉本の側には、大塚英志に歩み寄るのがかっこ悪いことかもしれないという疑念すらすでになく、大塚の方は自分の話が吉本に通じているのかどうかを確かめるのを怖がっている。奇妙な本であった。

 こういう状況を、大塚は「「だいたいでいい」という水位の思考の領域、言葉の領域をいかに恢復するか」という表現で肯定的に理解している。「自分や自分と同年代の批評家たちの言説が過度に細部に拘泥し、そしてその細部の上にディベート的というか論理のための論理を組み立ててしまう」ことに対する反省ということだ。何のことを言っているのかよくわからないし、私はむしろ、現状では論理と細部の不足が問題なんだと思うのだが、(非常に嫌な表現であるが)「アジア的」な思想のあり方を、大塚は吉本隆明に見ているということなんだろう。これはしかし吉本隆明と対談しなくても、そこらの床屋や寿司屋に行けば達成できる目標ではある。実際、この本の吉本隆明の発言のスタンスは、いくつかの面で私の行きつけの床屋のおばさんのそれに似ている(似ていない面も多いにせよ)。

 あと、私は『エヴァンゲリオン』に絡めて何か深遠なことを言おうとする人の言葉は真面目に受け取らないことにしている。んだが、やっぱり読むとうんざりする。改めて思ったのだが、大塚をはじめとするこの手の人々は、『エヴァンゲリオン』にそれまで見たことのないものをたくさん見てしまったんだろう。中学生や高校生が新発見をしてしまうのは責められないけれどもねえ。

2000/8/5

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