「大崩壊」の時代

人間の本質と社会秩序の再構築

The Great Disruption: Human Nature and the Reconstitution of Social Order

フランシス・フクヤマ / 早川書房 / 00/07/31

★★★★

保守主義からの強力な反撃

 著者の『歴史の終わり』は、出版して数年も経たないうちに「あれっ?」という感じになってしまったが、あの本に示されていたような心情が依然として大国アメリカの行動原理を支配していることは間違いないと思う。そのフランシス・フクヤマが、20世紀後半に先進諸国で見られた「社会秩序の崩壊」を分析している本。この場合の「社会秩序の崩壊」とは、犯罪の増加、コミュニティの力の低下、家族の崩壊、そして社会資本、社会規範、および道徳の弱体化などを指しており、ここで日本はまだ崩壊を経験していない対照群として取り上げられている(しかし現在のトレンドから見て、日本も欧米諸国と同じ道をたどるだろうと予想している)。この過程は不可逆なものであると考え、その後にどのような形で社会の再構築が行われうるだろうかということを考察する。この再構築については楽観的で、人間の社会は自然発生的に規範を生じさせるような性質を持っている(これが副題の「人間の本質」の指すものである)とする。全体として、20世紀後半の(特にアメリカの)リベラリズムに対する反動として現われてきたネオ保守の主張と位置づけられるだろう。

 たまたま日本人のリベラルによる『超少子化』なる本を読んだ。『超少子化』では、日本もヨーロッパ型の少子化対策を取るべきだと主張し、「出生促進モデル(公的育児支援大)」←→「非介入モデル(公的育児支援小)」と「平等家族モデル」←→「伝統家族モデル」の軸を持つマトリックスにおいて、「出生促進モデル(公的育児支援大)」×「平等家族モデル」の象限に移行するべきであると論じている(215ページ)。一方、この件についてフランシス・フクヤマは、ヨーロッパ(具体的にはフランスやスウェーデン)の政策主導型の少子化対策は失敗しているし、「平等家族モデル」が社会規範を崩壊させた大きな要因の1つであると論じるだろう(ただしフクヤマは、前に述べたように、このような過程は不可逆的なものであり、いったん社会秩序が崩壊した後の復興に希望を託している)。

 どちらの議論の方に説得力があるかというと、フクヤマの方である。『超少子化』の著者に代表されるようなリベラルは、ヨーロッパ型のモデルに移行したときの社会に与えられるインパクトについて、都合の悪い部分への言及を敢えて避けているという雰囲気があり、『超少子化』という本もその例外ではなかった。一方、フクヤマは、「個人の尊重」、「女性の社会進出」などの価値観はもはや不可逆的であることを認め、その結果として生じるネガティブなインパクトは受容せざるをえないと腹を括っている。たしかに『歴史の終わり』との整合性はあるのである。

 なお、フクヤマの「崩壊後の社会規範の再構築」の議論の部分にはあまり説得力が感じられなかった。いったん、とことんまで崩壊してみないと、どういう道が先にあるのかが見えにくいということなんだろうか。崩壊のきざしが見えてきたばかりの日本に住んでいると、ぴんと来ない部分が多くあるに違いない。

 まあしかし、『歴史の終わり』という前例もあることだし、意外にあっさりと情勢は反転したりして。ただ、そういう社会が生きやすいかというとまた別問題ではある。

2000/8/5

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