機長の告白

生還へのマニュアル

杉江弘 / 講談社 / 00/08/05

★★★★★

広い話題をカバーする好ましい本

 著者は日本航空のB747機長で安全推進部調査役。表紙には「B747機長」とあり、著者略歴には「1969年航空会社入社」とあり、本文中にも著者が日本航空に勤務していることを直接に示す言葉は1つもない。しかし、冒頭から、羽田沖逆噴射事故と御巣鷹山事故を起こした会社に勤務していることがバレている。ため息の出るような話である。

 『墜落の背景』は、日本航空を退社した事務方(とでも表現するべきか)が、もっぱら社内の管理体制の面から航空機の安全運行を論じている名著だったが、本書は現役のパイロットがテクニカルな面に焦点を当てて書いている本である。自ら体験したインシデントやシミュレータでの実験の紹介を交えて、幅広いトピックを扱っており、細かい話にも恐れずに踏み込んでいるおかげで内容に奥行きが生じている。面白い。

 第1章「御巣鷹山事故と「海上着水」」は、御巣鷹山事故と同じような状況を想定して行われたシミュレータでの実験を踏まえて、海上着水(ディッチング)を1つの選択肢として提示している。本書での記述を見ると、依然としてこの業界には、事故の状況を検討して他にあったかもしれない選択肢を探ることが「死者を鞭打つ」ことになるというような観念があるようだ。

 第2章「CFITという怪物」は、CFIT(シーフィット: Controlled Flight into Terrain)、すなわち「航空機に何ら異常がないのに、山や地面に衝突する事故」を扱っている。航空事故の死者の約4割が、このCFITを原因として起こっている。これは要するに、機器の異常あるいは不足と勘違いから、パイロットが空路上の地形を誤認識することから起こる事故で、解決方法は原理的に単純であり、アメリカ本土ではほとんどなくなっているという。

 第3章「「V1」の大誤解」は、離陸中にトラブルが生じたときに離陸中止(Reject Take Off)を判断するときの基準となるV1(ヴイ・ワン)の概念を扱っている。一般にこのV1は「離陸決定速度」ないし「離陸決心速度」と定義され、機長が離陸するかどうかを決定する速度と理解されてきたが、本当は「減速操作開始速度」であり、機長の決定はこれよりも前に行われていなくてはならない。このことを誤解しているパイロットは少なくないという(おいおい)。この項目に限らず、本書のような一般向けの本に出る前に、業界紙などで周知徹底されているのが当たり前じゃないかと感じさせるような記述が少なくないのが怖いところだ。そうなってしまう業界の事情があるんだろうけれども。ちなみに、離陸中のトラブルで離陸を継続して事故になったケースはないことから、パイロットは「離陸継続の強い意思を持つ」ことが重要だと言う。パイロットも人間であり、トラブルは地上で解決したいという思いを本能的に抱くので、離陸中にトラブルが生じたときに「思わず」決定を誤り、離陸を中断して事故を引き起こしてしまうことがある。これを避けるには、この本能的なとっさの行動を抑止するためにシミュレータでの訓練を重ねなくてはならない、とする。

 第4章「「ハリーアップ・リターン」症候群とは何か」は、第3章と同じように、パイロットの本能的な判断が必ずしも最適ではないという例である。飛行中にトラブルが生じると、人間の本能としてなるべく早く地上に戻りたいと思う。このために拙速の判断をして姿勢を崩したり失速したりする可能性がある。「火災や煙の発生などで緊急に着陸しなければならない事態以外では、急いで元の空港に戻ろうとしてはならない」という記述が示すように、航空機は姿勢が安定している限り、空中にいる方が安全なのである。

 第5章「片側二基のエンジンが止まったら」は、離陸中に鳥がエンジンに飛び込み(バード・ストライク)、片側のエンジン二基が停止するというきわめて困難な状況を解決する方法を、シミュレータの実験を通して探っている。超低空で機首を下げるという、やはり人間の本能に逆らうような動きをしなくてはならないので、訓練が必要である。

 第6章「操縦不能におちいる時」は、自動操縦システムのユーザー・インターフェイスの問題を扱っている。自動操縦システムの設計プロセスにパイロットが関わっていないそうだ(おいおい)。

 第7章「着陸事故の八割はパイロット」は、安全な着陸をするためのパイロットの心構えを論じている。著者が社内で広めた、着陸を行うかどうかを決定するためのプロシージャである「スタビライズド・アプローチ」を紹介し、またそのような安全側に振った行動をパイロットがとれない心理的な理由を説明する。こういう手順も完全に確立されていないのかと驚いた。

 第8章「管制官と航空史上最大の惨事」は、管制官の問題を扱っている。運輸省は管制官の人数を今後10年間で1800人から1300人に減らす予定であり、これは危険であるとする。

 第9章「気象現象の脅威に克つために」は、アイシング(着氷)やウィンドシアーの話。タービュランス事故に関連して、著者が乗客として客席に座っているときにどうしているかを解説している部分を引用(296ページ)。

以上述べたように、飛行機は様々な要因で突然激しい揺れに見舞われることがあるので、乗客が身を守る方法はいつもシートベルトを着用する以外にはない。私が乗客として客席に座っているときは、離着陸時やベルトサインが点灯しているときはしっかりと、それ以外のときはゆるく着用するというものだ。長時間にわたってベルトをしっかり固定すると体が疲れてリラックスできない。とりあえずベルトは飛行機が揺れても体が座席から放り出されない程度でよい。そしてベルトサインが点灯したらしっかりと締めるようにする。空席があって、何席か利用して横になって休む場合は、寝返りをうてるくらいゆるく締めておけばよい。

 第10章「機材故障が増えている原因」は、アメリカの経験をもとに、競争自由化に伴う整備不良を原因とする事故を扱っている。日本ではまだこれを理由とする大事故は起こっていないが、新規参入した航空会社の厳しい運行スケジュールと貧しい整備体制を考えると、アメリカと同じような事態が生じる可能性がある、とまあ日本航空の社員だからそう言うわけだ。

 第11章「テロ、ハイジャック、そして戦争」は、新ガイドライン法の下で、有事の際に民間航空機が「国の航空機」となると、その航空機は国際民間航空条約(シカゴ条約)やハイジャック防止条約の適用範囲外になるという、考えてみれば航空会社の乗務員にとってはきわめて深刻な話が取り上げられている。

 第12章「アメリカの航空事故調査に学べ」は、日本の航空事故調査委員会の問題点を指摘する。

 第13章「シミュレーター訓練のすべて」は、シミュレータの紹介。

 第14章「理想のパイロット」は、乗務員としてどのような性格の人間を組み合わせるべきかという研究の紹介。

 全体として、航空機のパイロットは依然として「聖域」であるというか、「一国一城の主」であるというか、「インディペンデント」であるというか、とにかく触れがたいものであり、著者は自分もパイロットなんでそのあたりのニュアンスを十分に理解しているが、「安全推進部」なる立場ではそのことを歯がゆく感じているという印象がある。本書のような本が一般向けの本として書かれたということは、「安全推進部」なる社内的な立場と経路では、自社のパイロットを、あるいは他の航空会社のパイロットを十分に啓蒙できないという事情があることを推測させる。それが一番怖いところである。

 なお、この項を書いている間に、御巣鷹山事故の航空機のボイス・レコーダーが流出した。以下に、関連リンク。

 『赤旗』の記事

 共産党町議会議員が作っている事故サイト。ちょっと見にくい構成のサイトだが、下の方の「リンク」は重宝する。

2000/8/12

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