サイエンス・ウォーズ

金森修 / 東京大学出版会 / 00/06/30

★★★★★

これは力作であった

 アラン・ソーカル(『「知」の欺瞞』)の偽論文事件を、科学者コミュニティと科学論者コミュニティの間で行われている「サイエンス・ウォーズ」のコンテキストの中に位置づけて、その展開を論じるという本。著者は科学論者の方に分類される人だが、そのアプローチはかなり穏当で共感を持てる範囲内である。なお、このトピック以外にも、社会構成主義一般、遺伝子研究の倫理、フェミニズム的な科学論、そしてエコロジー(環境保護)運動についての紹介があり、個人的にはこれらの方が面白かった。文献を大量に読んでいる勉強家で、何よりも文章がうまい。著者本人の考えをもっと知りたいというフラストレーションがあったけれども、欧米文献紹介本としてはきわめてレベルが高いことは間違いない。

 なお、「サイエンス・ウォーズ」という言葉を使って、そのような「戦争」が起こっているという風に認識すること自体が科学論者的な発想である、と科学者コミュニティ側は反論するだろうが、ソーカルが偽論文を書き、『「知」の欺瞞』みたいな本を出版してしまった時点で言い訳は不可能になったように思う。ソーカルを科学者コミュニティから切り離すなら別だが。

 米本昌平『知政学のすすめ』のときにも感じたことだが。著者はいくつかの箇所で、権力論、あるいは「中心―周縁」論みたいな切り口で科学論を行うときに、著者自らの立場を振り返り、そこに何らかの落ちつかなさを感じている。したがって著者もとっくに承知しているはずのことではあるんだが。いわゆる「サイエンス・ウォーズ」を論じるときに、「文科系」の学者である著者の立場にあるていどの説得力はあるにしても、東京大学出版会からこういう分厚い本を出している大学教授が自らを「周縁」に位置づけるのは実のところきわめて滑稽なんである(米本昌平の場合は、大学ではなく三菱化成生命科学研究所に勤務しているということを免罪符にしていたが)。フェミニズムを論じるときに自らが男性であること、エスニシティを論じるときに自らが先進国日本の住人であることを省みるよりもさきに何とかしておかなくてはならない問題であると私は思う。著者は、ソーカル事件をきっかけに、フランスで「フランス知識人」の権威が失墜したことを紹介するなかで、この失墜をレトリックを使って物理学者の方に押しつけようとしているが、これがインチキであることは明白だ。『コンタクト』の項で触れたが、権力関係ないし「中心」なるものを唯物論的に狭く限定して理解するならば、それは国家予算の配分を巡って生じる関係であり、この点でアカデミアにポストモダンが入ってきていることに警戒心を抱く科学者コミュニティにはそれなりの「被害者」としての言い分はある。

 もう1つ。著者は、『「知」の欺瞞』で取り上げられているようなフランス知識人たちを切り捨てて、「ポストモダン思想」や科学論の中のまともそうなものを守るという態度をとっているが、これは実際のところメインストリーム科学の採用している戦略と同型である。ストロング・プログラムの「反射性」の原理の実践というべきか。もちろん、「良いものは良い。悪いものは悪い。良いものを守り、悪いものを切り捨てるのは当然だ」ということであり、まあ要するにそういうことなんだが、それを言っちゃおしまいだという気もしないでもない。

2000/8/12

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