暴走する市場原理主義

アメリカの「タテマエ」の罪と限界

福島清彦 / ダイヤモンド社 / 00/02/17

★★★★

まあ情熱は感じられる

 著者は野村総合研究所(ヨーロッパ)社長だが、ジャーナリズムやアカデミアなども転々としている人。本書は民間の立場のプラグマティズムに立脚するニューエコノミー批判である。ちょっと厳密さに難がある感じだが、情熱が感じられる本となっている。

 目次を見れば内容は想像つくだろう。序論「市場原理を掲げて暴走するアメリカ」、第一章「爆発寸前の借金とバブル―市場原理主義が国内で暴走」、第二章「カジノになった国際金融市場―市場原理主義が世界で暴走」、第三章「市場原理主義を支える経済理論―戦後アメリカ経済学の意義と限界」、第四章「実は政府主導というホンネで成功してきたアメリカの経済と軍事―市場原理一辺倒で猛進してきたわけではない」、第五章「偉大になれる個人と偉大になれない社会―日本への教訓」。

 なお第五章は、市場原理主義がアメリカ社会の混乱(家庭崩壊、教育低下、貧困蔓延)を引き起こした、という話をしているだけで、具体的な「教訓」はない。ちなみにここのところは難しい。本書のテーマの1つは、アメリカの掲げる「市場原理主義」がタテマエであり、それとは違うホンネもあるということなんだが、アメリカ社会が混乱しているとして、その原因がタテマエとホンネのどちらの部分にあるのかを腑分けしないといけない。また、フランシス・フクヤマの『「大崩壊」の時代』はいくつかの先進国でのこの種の混乱の現状を比較している本なのだが、フクヤマであればアメリカほどの「市場原理主義」をとっていない国でもこの種の混乱が生じていることから、原因は必ずしも「市場原理主義」単独にはないと言うだろう。もちろん、労働力としての移民の積極的な導入みたいな政策までを「市場原理主義」にまで含めるならば、なんとか話はまとまるかもしれないが、そこまでを「市場原理主義」と呼んでしまうとこの言葉の意味があいまいになりそうだ。

 たとえば、アメリカの多民族国家化とそれに伴うマイノリティの権利擁護活動、あるいは女性の社会進出の背後には、安い労働力を獲得することを目的とする市場原理主義がある、みたいなことを言うかどうかということだ。結果論的にはその風潮に利している感じもしないでもないんだが、アメリカの政治風土の背後にこういうグランド・デザインを描いている人がいるというふうに想定するのは行きすぎた陰謀説だろう。

 そのような理由から、個人的には、「市場原理主義」を唱える人も批判する人も、「市場主義」がどのマーケットに適用されているのかを慎重に意識する必要があると思っている。すべての規制緩和が良いことではないのは当然だが、すべての規制が良いわけでもなく、個々の分野の性質と、各国の現状に応じて、とるべき方針は変わってくるという当たり前のことだ。もちろん大きな「思想潮流」としての市場原理主義を想定し、それを批評するという文芸ジャンルはあってもよいけれども。

2000/8/19

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