社会的ジレンマ

「環境破壊」から「いじめ」まで

山岸俊男 / PHP研究所 / 00/07/05

★★★★★

社会学への進化心理学の適用

 『地価暴落はこれからが本番だ』で、著者の『安心社会から信頼社会へ』が1999年の「ミネルヴァのふくろう」の本の1冊として取り上げられていたので関心を抱いて買ってみた。なるほどこれは面白い話だった。「囚人のジレンマ」などの社会的ジレンマの問題に、進化心理学(というか行動生態学)的な知見を注入して、動的なモデルを作るという話である。本書の記述からすると、こういう方向が社会心理学の中で強くなったのは1990年代に入ってからのようだ。

 ただし、この場合の「進化心理学の注入」はあまり前向きの話ではない。あくまで推測だが、話の流れは次のようなものである。社会的ジレンマの問題を(工学的な意味で)解こうとすると、合理的な判断を下す人間(プレーヤー)というものを想定する限り、望ましい結果を導き出すのが難しいことがある。これは行動生態学の分野で言えば、利己的な遺伝子というものをベースにする限り、群選択(group selection)のメカニズムが働かず(普通は、これは自然環境中ではほとんど起こらないものとされる)、個体群全体で適応度が低い位置で安定し、ついには絶滅に至ってしまうというようなことが起こりうるという話に似ている。ゲーム理論の分野で言えば、もし個体群の成員全体が協調戦略をとれば全員がより高い利得を得られるのだが、これに裏切り戦略が入ってくると協調戦略(が成員全員に行き渡るという状況)は安定的でないということである。ところで人間の社会で生じる社会的ジレンマの実際の場では、協調戦略と裏切り戦略のミックスが見られることが多い。これをどう理解すべきかという問題には、2つの方向がある。(1) 「合理的」なのはあくまで裏切り戦略であり、協調戦略は「不合理」な行動で、何らかのエラーである、(2) 協調戦略は長期的に見れば「合理的」であることがある。後者の問題は、人間がこの「長期的に見た場合の合理性」をどうやって認識し、取りうるのかというところにあり、局所的に合理性を判断する、新古典派経済学の想定するのに似た経済合理的人間には不可能なことが多い。

 だが、これに進化心理学の発想を注入すると、一見して不合理ではあるが長期的には合理的である、または状況によっては合理的であるような行動を取るような人の存在を所与のものとして想定することができる。これは(その主張する内容は一見して正反対だが)経済学の分野で「合理的期待形成論」の果たした役割に似ているところがあり、非合理的な行動を合理的な範疇にむりやり収めることによって、根本にある「人の合理性」の観念を守るという機能を持っている。

 具体的に進化心理学がどのように機能するかというと、こういうことになる。長期的に見れば、あるいは個体群の成員の一定のパーセンテージが協調戦略を取れば、協調戦略の利得が高くなるような状況では、協調戦略をとった方が有利なことがある。人間の脳は、この種の社会的状況にうまく対応できるように進化してきているので、「新古典派経済学の想定するのに似た経済合理的人間」には不可能な(しかし結果としては有利な)行動が進化してきていても不思議ではない。経済合理的な行動をドライブするものを仮に「理性」と名づけるとすれば、それ以外の「非理性」的なところにこの種の結果としては有利な行動が埋め込まれている。そういうわけで、これまでの「経済合理的行動」あるいは「理性」重視の人間モデルの下では誤作動/エラーとみなされがちだった「感情」とか「迷信」などのカテゴリーが適応的な行動パターンであると再解釈される。いったんこういう発想が流行すると、それをサポートする研究結果とか解釈が続々と出るので、ますますそれらしく思えてくるわけである。

 協調戦略を所与とするなかで、その協調の度合や性質をいろいろと考えて、コストとベネフィットのパラメータをうまく設定してやると、戦略ミックスの安定解が複数存在するような社会的ジレンマを考えることができる。どの解に到達するかは初期値による。そして望ましい解(協調がうまく行われる状況)に到達できるような初期値を、著者は「限界質量」と呼び、人々の行動を変える社会政策は、このような望ましい解に「自然」と到達するようにコストとベネフィットのパラメータを操作することであると規定する。ここには強権的な社会政策がうまく機能しないことへの反省がある。

 進化心理学の面から考えると、このような行動パターンが進化するためには群選択みたいな選択メカニズムがどうしても必要になると思われる。実際の人間の社会生活の歴史を考えると、そのようなメカニズムが働いた可能性はたしかにありえそうだ(なんというか小人数の「部族」みたいなやつね)。まあしかし全体として、進化心理学自体がいまだに怪しい分野なんで、本書で主張されているような事柄も割り引いて受け取らざるをえない。いろんな楽しい与太話はできそうだけれどもね。たとえば日本とアメリカは、信頼に関して、異なるアトラクタに落ち込んでいるとか、コミュニティの崩壊は本当に大問題だ、みたいな話。ゲーム理論を使って日本的経営システムを救おうとする『文化の経済学』との連想は簡単にできる。

 うーむ、『脳のなかの幽霊』でも感じたことだが、世の中の論調はずいぶんと変わったものだ。『優生学の復活?』で批判的に取り上げられている、科学的人間観が新たな段階に入り、以前ならば非合理とか非科学的と呼ばれていたような範疇の事象を科学の合理の中に回収しようとする動きが猛烈に進んでいるように思われる。『大絶滅』の項に書いたことだが、恐竜の大絶滅の天体衝突原因仮説が果たした最も大きな役割は、地質学的斉一説をファッショナブルでなくしたことにある。ウィルソンの『社会生物学』は、結果として、それと同じほど強力な影響を多くの分野に及ぼしたということになるだろう。いわゆる「パラダイム・シフト」を実際に目撃しているような感がある。

 この読書メモで「と学会的」という形容句をときどき使っているけれども、2〜30年前ですら「感情は進化してきており、適応上の意味を持っている」とか「天体衝突が地球上の生命に大きな影響を与えたことがある」みたいな観念を「非科学的だ」といって攻撃する「と学会的」な人たちは大勢いたんである。科学は「と学会的」な人たちが期待するほど静的なものではない、ということだ。その意味で私は「と学会的」な人よりもいっそう強い科学進歩信仰を持っていると言えなくもないのだが(真理漸近信奉はともかく)。

2000/8/19

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