ダイバー漂流

極限の230キロ

小出康太郎 / 新潮社 / 00/10/10

★★★★★

凄まじい記録

 著者はダイビング事故とその教訓の事例報告である『ダイバーズバイブル』シリーズで有名な人。この「読書メモ」では、登山などのアウトドア活動での事故を扱ったノンフィクションを少なからず取り上げているが、もともと私がこの手の分野に興味を持ったのはこの人の『ダイバーズバイブル』がきっかけだった。

 本書は、1983年に起こったダイバーの漂流事故を描いたノンフィクション『流れる海 ドキュメント・生還者』(1989年、佼成出版社)を改題・加筆したもの。今回、新潮OH!文庫という新しい文庫シリーズに収録された。

 この事故は、新島でダイビングをしていた男性が黒潮に流され、56時間も漂流し、230キロメートル離れた銚子沖で漁船に拾われたというケースである。著者はこの男性と関係者たちに取材し、日本的な「ノンフィクション」形式で事故の経緯を再構成している。この人の文章には再構成の不自然さがあまり鼻につかないという不思議な特徴があり、またダイビング事故に関する啓蒙活動というしっかりした基盤があるので、日本的ノンフィクションとしては最良の部類に入ると思う。

 本書で取り上げられているケースがいかに恐ろしいものであるかは、まあ本書を実際に読むのが一番だが、次のような状況を想像すればわかると思う。四方を見回しても陸はまったく見えない。足の下の海はどれだけの深さかわからない。自分がどこにいるのかわからないが、このまま行けば太平洋のどまんなかに向かって流されていくということはほぼ確実である。食べ物も水もない。浮力器(BCと呼ばれる)からは空気が抜けてきていて、2時間おきに息を吹き込んで膨らませなくてはならない。海が荒れて、海面が自分の頭以上の高さで振幅している。もしかしたら台風が接近しているのかもしれない。仮に飛行機や船が見えたとしても、向こうから発見してもらえる可能性はきわめて低い。そんな状況で56時間流されていたのである。

 1983年といえば、レジャー・ダイビングの歴史の中では大昔のことで、現在では器具やプラクティスの改良が細かいところで進んできている。たとえば、船や飛行機から(もちろん他のダイバーからも)発見されやすいように明るい色のダイビング・スーツを着るとか(昔は真っ黒なものが主流だった)、化学作用で発光するライトを携帯するとか。それでも、特に海外のダイビング・スポットで、日本人が漂流してそのまま行方不明になるという事故は何年かに一度は起こっている。おそらく将来は、雪山登山で雪崩ビーコン(『最新雪崩学入門』)の携帯が一般化するであろうことと同じように、GPSと衛星携帯電話を組み合わせたような小型機器を誰もが身に着けるようになるのだろう。

 なお、本書を読むまで気づかなかったのだが、稲見一良の名作『ダック・コール』(といっても、稲見一良のはすべて名作なんだが)に収録されていた、海を漂流していた男が動物に救われるという短篇(えーい、タイトルはもちろん、どんな動物に救われたのかも思い出せない)は、この事件にアイデアを得ているようだ。この事件の漂流者は、海を流されるなかで、クジラ、カニ、マンボウなどの動物と不思議な関わり方をしており、これらの動物のおかげで生還できたと思っているのである。

2000/10/28

TRCの該当ページへ

検索ページへ 目次へ 前へ 次へ