ハーバード大学で日本はこう教えられている

相馬勝 / 新潮社 / 00/10/10

★★★

頑張ってはいるが素朴すぎるかも

 著者は産経新聞社の記者。ニーマン・フェローとして1998年から1年間、ハーバード大学に留学した経験のことを書いている。

 主に、ハーバード大学近辺に集うインテレクチャルたちが、日本と東アジア一般をどのように見ているかということのレポートである。その中で、エズラ・ヴォーゲル(『ジャパン アズ ナンバーワン』)のような知日派・親日派は例外的な存在であり、日本の核武装を本気で心配するような「分かっていない」人が多い、というのが、『ハーバード大学で日本はこう教えられている』という題名と、「えっ、日本は不況打破のために軍事暴発する!?」という副題に込められている意味である。留学の時期が1998年なので、『透視される日本』で描かれていたような、日本経済の不調とそれに伴う国際的なパワーの低下のために、アメリカの日本研究者が減少するという事態のど真ん中に飛び込んでいったことになる。

 副題からわかるように、著者は「日本の核武装を心配する」というような研究者の考え方に違和感を感じている。しかし、『戦争と正義』の項で、エノラ・ゲイ論争での知日派リベラル知識人たちの日本観について述べたように、こういう考え方はむしろ一貫してメインストリームだったのであり、それはリベラルの立場でも(いやむしろそうだからこそ、という事情も少しはあるかもしれないが)そうだったのである。で、支局長まで務めた新聞記者が今さらそれを知って驚いてもらっちゃ困る、という気持ちもこちらとしてはある。少なくとも、このような考え方を「勉強不足」みたいな表現で軽視するのはよくない。これは、日本で受けの良いアメリカ人知日派が、アメリカ本国ではあまり評判が良くないという現象を謙虚に考え直さなくてはならない、ということとつながってくることである。

 「アメリカは日本が軍事国家になるのを怖れているので、沖縄から撤退できない」という類いの言い方は、日本人なら誰もが知っているだろうと思うが、ほとんどの人は(本書の著者も含めて)これを真剣に考えていないのではないかと思う。つまり、これはアメリカ人(およびその他の日本以外の国の人々)の「勘違い」や「勉強不足」だと思っているか、単なるレトリックだと思っているのである。そして、日本が国際政治の中で発言権を持ち、しっかりと広報活動を行えば、「わかってもらえる」と思っているのだと思われる。しかし仮にそういう広報活動を行うとして、日本人は何をわかってもらえばよいのだろうかと考えると、実はこっちの方に大きな問題があり、「アメリカは日本が軍事国家になるのを怖れているので、沖縄から撤退できない」という類いの言い方の方が最終的には的を射ている、またはそうでなくても実用的で有効であるという結論にもなりかねないんじゃないだろうか。こちらが「わかってもらいたいこと」は、だいたい次のような表現に集約されると思う: 「もう私たちには元気がないから野望を持てませんよ」。これは戦後日本の反戦・平和運動の中心的なテーマであり、代々の自民党政権のプラグマティックなメッセージを除けば、戦後日本のモデレート・リベラルはこういうメッセージを外と内に向かって発してきた。

 こういうメッセージにはいろいろな問題があると思うが、一番重大なのは、「元気がない」ということを何かの担保にすることはできないということだ。というのも、将来、何らかの拍子で日本国民が元気になってしまう可能性もないわけではなく、それを回避するために「国民の元気をなくすような政策をとります」というのは非現実的なのである。

 中国について、特にハーバードでのクラスメートであった王丹を含む在米中国民主化知識人の動向について書かれている部分は非常に興味深かった。天安門事件以降の米中関係と、それに翻弄された個人、とりわけ在米中国人たちの話については、『米中奔流』の記述が詳しくて良いのだが、実際にそういう人々がどういう風に生活しているのかをこの本から垣間見ることができる。

2000/10/28

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