リサイクル幻想

武田邦彦 / 文藝春秋 / 00/10/20

★★★★★

よく整理されている

 著者は『「リサイクル」汚染列島』の人。基本的に、その前の『「リサイクル」はしてはいけない』(ぱらぱらと立ち読みした)とともに、同じことを繰り返して書いている。ただし、本書は2回目のリライトということもあって、コンパクトに整理されているし、論点も明確になっている。文春新書という手に入りやすいメディアでもあり、この1冊を読めば十分だと思う。

 基本的な内容が同じだとはいえ、今回の議論では、第6章「来るべき循環型社会を考える」で、著者が理想とする循環型社会のあり方を突っ込んで解説しているのが目をひく。特に、これまでにあった具体的なアイデア(人工鉱山など)のフレームワークとなる基本前提を、かなり思い切った形で提示しているのが興味深い。その前提とは(138ページ)、1) 現在の日本の生活レベルを落とさない、2) 循環の対象を日本国内に限る、3) 真に日本の将来を考える。

 この3)は、文字面だけを見れば何の意味もないように思えるが、その背後にある発想はかなり過激である。著者は、中長期的に、世界的なレベルで大規模な破局が起こると考えており、そのような事態に遭遇したときに日本という国の単位でどうやってsurviveするかということを考えているのである。これが2)の、日本国内での資源循環という発想とも結びついてくる。こういう腹の括り方をしている環境問題論者はあまりいないんじゃないだろうか? 念のために付け加えておくが、この発想はそれほど明示的には語られておらず、何気なく読んだら見落としてしまっても不思議ではないほどさりげなく書かれている。しかし私は、著者がかなり本気でこう思っていると推測する。

 リサイクル/循環型社会というアイデアからこういう発想に行きつくのは、ごく自然なことのように思う。著者が特に気にしているように思われる「リサイクルと国際分業の矛盾」(20ページ)からも、循環型社会と言われているものが本質的に狭い範囲でのリサイクルを目指すものであるが、その範囲の上限を「国家」に設定するのが自然であるということが導き出される。そして国家を1つのシステムとして捉え、(少なくともその一部は)外から持ってきたエネルギーを使って資源を循環させるということをやった場合、日本という国は結局は簒奪者/搾取者にならざるをえないという諦念があるのだと思われる。

 そういうような発想を前提とすると、「おわりに」にあるような、「西洋合理主義」と「東洋思想」の対比も、何か陳腐でないことを言っているんではないかと思えてくる。ここではおそらく、著者が想定しているような破局が訪れたときに、日本はなるべく他の国に迷惑をかけないように縮小再生産の過程をたどれるような仕組みをいまから作っておこう、それのベースとなるのが「東洋思想」なんである、と言っている。ここには、国家間で資源をフェアに分配するメカニズムなどというものは実現不可能だという諦念とともに、国家内という規模であれば工学者にもコントロールが可能かもしれないという希望があるのだろう。これは、CO2の排出を国家間で調整するという発想そのものが先進国による搾取であるとする発展途上国への、経済先進国としての日本の誠意ある回答の1つなんではないかと思った。限りなく「鎖国」に近いアプローチではあるんだが。

2000/10/28

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