平和の代償

永井陽之助 / 中央公論社 / 67/01/20

★★★★★

冷戦の最中に書かれた読みやすい古典

 1965〜66年に『中央公論』に掲載された3つの論文に手を加えて、1冊の本にしたもの。初版は1967年であり、著者の最も初期の著作のひとつだろう。

 「米国の戦争観と毛沢東の挑戦」は、当時の米国と中国の、つまりマクナマラと毛沢東の国際関係観/戦争観を論じている。「日本外交における拘束と選択」は、前稿での議論を踏まえて、日本が取りうる外交戦略がどのように制約されているか、またどのようなオプションがありうるかを論じている。「国家目標としての安全と独立」は、前の2稿に対して寄せられた批判への回答を中心にしている。

 これらの文章が書かれてから30年が経過した。1998年の現在から振り返ってみて、思ったことを、いくつか。

 まず一番驚くのは、著者がこの本の中で支持している(そして当時はそうとう批判されたであろう)アメリカとソ連の間での核均衡が本当にうまく機能したということだ。両大国の間で熱核戦争は起こらなかった。それが起こらなかったのは、著者のような核均衡論者が唱えたメカニズムが本当に機能したからだとしか思えない。これは冷静に考えると驚くべきことのように思える。

 ソ連が崩壊して、ニ大国の間での核バランスが崩れた現在、この核均衡論の土台となる前提は崩れ、著者が核軍縮の過程で起こる危機として指摘している問題が噴出している。つい最近の、インドが行った核実験のニュースはまだ記憶に新しい。そもそもこの本をスタックから取り出してきたのは、このニュースによるところが大きかった。

 驚くべきことではないが、日本の国際政治と外交戦略は、この本が書かれた30年前からほとんど変わっていない。のだが、本当にそうなのだろうかという疑問もわく。1967年当時に日本で考えられていたいくつかの「代案」が、1998年までの30年間で全滅したというのが正しい歴史認識なのかもしれない。著者はこのときすでに「アメリカの核の傘の下での日本経済の繁栄」という概念に触れているが、30年間で経済がここまで繁栄するとは予期していなかっただろう。これは、さまざまな「代案」をゆっくりと窒息死させ、著者が提言するような明確な外交戦略を培わないまま過ごしてきた見返りであるわけだが、これだけ長期にわたってこういうことを続けてきたということ自体が、すでに日本国民の選択の結果であると言ってよい。

1998/5/27

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