ワード・ポリティックス

グローバリゼーションの中の日本外交

田中明彦 / 筑摩書房 / 00/11/10

★★★

興味深い問題設定だが

 著者は1996年に『新しい「中世」』という本でサントリー学芸賞を受賞している国際政治学者。この「中世」というキーワードは、現在のグローバリゼーションが、先進諸国の間で中世に似た国際政治環境を作り出しているとするもの。国民国家の果たす役割が縮小し、その他のさまざまな勢力(企業、NGO、宗教団体など)が複雑な関係を保ちながら国際関係をドライブしていくという構図である。ただし自由民主主義と市場経済がそれほど成熟していない国ではいまだに「近代」が進行している。

 本書の「ワード・ポリティクス」とは、そのような環境の中で、軍事力や経済力よりも、これまでソフト・パワーと呼ばれてきたようなシンボル操作による政治が重要となる、ということを指している。理論的な話はこれでおしまいと言っても過言ではなく、あとは著者が雑誌などに寄稿してきた時事評論が集められていて、これらの評論は理論からはかなり乖離しているように思えた。著者自ら、「ワード・ポリティクス」なる概念にたどりつくまでのプロセスの中で書かれた評論群であると述べている。

 「中世」というキーワードには、研究プログラムの提案というような意味合いがあるようだ。国際政治学のフィールドでは、中世(ヨーロッパとそれ以外を含む)の国際関係の研究がそれほど進んでいない、ということらしく、これを研究すれば、今後のグローバルな世界を理解するのに役立つだろうという。

 国際関係をシンボル操作という観点から分析するというアプローチは実証主義的になりにくいだろう。言おうと思ったら何でも言えるし、それを言うこと自体がシンボル操作への荷担となる、という仕組みがある。もちろん、それに荷担しないことそのものがイデオロギッシュな選択である、という反批判もとうぜん出てくるだろうけど。

 で、その実証主義の欠如が、個々の時評がアドホックな印象を与える原因となっているように思える。もちろんアドホックであっても、的を射た指摘は可能であるし、そういうやり方が結局は一番当たる確率が高いのかもしれない。よくわかりません。いずれにせよ、理論的枠組みをベースにしたアドホックな時評を、そのような枠組みのない(あるいは言語化していない)アドホックな時評とどのように差別化できるのか、ということが鍵となるのだろう。

2000/11/25

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