英語発音は日本語でできる

斉藤厚見 / 筑摩書房 / 00/11/20

★★★

興味深い内容だが、本当にこれでいいのか

 日本語の中には、外国語(とりわけ英語)の音がほとんど含まれており、平安カナに慣れている日本人はそれに気づいていない。新しいカナ体系を使うことでそのことを意識するようになれば、英語の発音能力が向上する。そういう主張をベースに、著者独自の「新カナ」なる体系を提唱している本。これを「サイトウ・メソッド」と呼んでいる。

 この「新カナ」の体系は、平安カナに、次の4つの記号を追加することによって実現される(88ページ)。(1) 文字の上に「・」の記号を追加して、子音単独音を表現する。(2) アポストロフィー「’」を追加して、弱まり音を表現する。(3) 上付き線を追加して、調音点を表現する。(4) 下線「_」を追加して、強音を表現する。これで472の音を表現することができる。

 これは要するに、カナをベースにした発音記号を提唱しているわけである。その限りでは別に問題はないのだが、いくつか疑問と注意事項がある。

 (1) 著者は、平安カナによる表記が実際の発音と乖離していることが悪いことであると言いたげだ。もちろん、絶対的に悪いのではなく、その乖離が「日本人による英語学習の障害となっている」という点においてのみ悪影響を与えている、という風に限定しているのだろうとは思う。しかしこれはいくつかの点でミスリーディングである。まず、長い歴史を持っている言語ならば、文字の表記と発音が乖離するのは当たり前である。表記と発音は、それぞれ異なる基準に従って進化する(節約と抽象化の方向に向かうことが多いだろう)。そして、平安カナは備えている(発音との乖離という意味での)高度な抽象性は、人々が使う文字の利点なのであって欠点ではない。次に、日本人が(英語などの)外国語を学ぶときに、外国語の単語の平安カナによる表記が邪魔になるという話は、他の外国語のネイティブ・スピーカーが日本語を学ぶときにもまったく同じである。著者自ら、英語のネイティブ・スピーカーが箕輪(みのわ)なる地名"Minowa"をmi+now+aと分解して「マナウア」という発音をしてしまったという事例を出している。つまり、外国語学習の際の音の表記に発音記号を使うという方針をとらない限り、この問題は2つの言語間で対称的に生じることなのである。したがって、著者の主張のターゲットを日本語から英語に変えれば、「英語におけるアルファベット表記と発音のずれが、英語ネイティブ・スピーカーにとっての日本語学習の障害になっている」と言うことが可能である。

 (2) あるメーリングリストで、あるアメリカ人が、「日本人は英語のrとlの発音を区別できないことで有名なので、ラ行のカナに濁点を付けてrの音を表すようにすれば良い」という発言をしていた。つまり「メーリングリスト」はこのままでいいが、「アメリカ」は「アメリ″カ」と表記するようにせよ、というわけだ。いろんな意味で困ってしまう提案なのだが(「新カナ」では、まともな理屈を付けて、rの音は「ラ’」のようにアポストロフィーを付けて表記する)、一番気になるのは、たとえ「アメリ″カ」という表記があったとしても、その発音は一義には決まらないということだ。まあ「アメリカ」の場合は、原語が英語であると考えて良さそうだから、この「リ″」は英語風のrとして発音すべきだということになりそうだが、たとえばドイツ語では「アメリカ」はAmerikaで、このrはドイツ語風のr(喉を震わせるやつ)で発音する。その他のさまざまな言語と単語のことを考えると、この「リ″」をどう発音すればいいかわからないケースがたくさんあるだろう。本書の「新カナ」は、これほどひどくはないにせよ、やはり英語中心の立場をとっている。

 (3) ドイツ語の話が出たので、ついでに「映画メモ」の方に最近書いた例を引いておく。『13F』という映画は、ドイツ人のJosef Rusnakという人がアメリカで撮った映画である。プロデューサーは『インディペンデンス・デイ』や『ゴジラ』などを監督したRoland Emmerichで、やはりこの人もドイツ出身である。この2人の名前は、ドイツ語読みをすればそれぞれ「ヨーゼフ・ルスナック」と「ローランド・エメリッヒ」となる。ところが、DVDの解説トラックで、Josef Rusnakは自分のことを「ジョゼフ・ルスナック」と呼び、プロデューサーのことを「ローランド・エメリック」と呼んでいる。要するに、たとえ固有名詞であっても、別の言語の中で発音するときには、ターゲット言語の発音体系の中で発音しても「べつにかまわない」のである。そして、外国出身の英語スピーカーにもさまざまな訛りがあるように、ターゲット言語の中で、別の言語に引きずられた発音が行われてもべつにかまわない。

 (4) この「新カナ」が発音記号なのか、表記の記号なのかが不明である。「あとがき」で著者は、この「サイトウ・メソッド」を「サイトー メサ’ド(上に・)」と表記しているが、これはお遊びなのか、それとも本気で日本語の(書かれた)テキストの中にこの「新カナ」を埋め込む積もりなのか。もし埋め込むつもりならば、外来語以外にもそれを適用するのか。外来語には「新カナ」を使用し、日本語には平安カナを使用すると、かえって混乱が生じないか(著者が指摘するように、平安カナは日本語の発音も正しく表記していない)。

 (5) 一番気になるのは、著者が主張するように「英語・外国語発音を正確にそのまま、日本語発音体系の中に取り入れる」(あとがき198ページより)と言う場合、日本人が普通の会話の中で英語・外国語発音を行うようになるということを想定しているのか、ということである。「私はジャズが好きです」という文を、英語のネイティブ・スピーカーがよくやるように、「私はヂァ(下線)ズ(上に・)が好きです」というように、外来語のみを英語風に発音するのが望ましいと想定されているのか。しかしたとえばこの例で、jazzという単語を単独で発音する分には問題がないとしても、「jazzが」というように後に日本語の助動詞「が」が付いていると、日本語の法則として、「ジャズ」の最後の「ズ」は子音単独音にはなりにくい。また、無理に「ズ」を子音単独音「ズ(上に・)」として発音すると、その後の「が」までが変に影響を受ける(実際に発音してみるとわかると思う。私の場合は、「ズ(上に・)」の後に意識的な区切りを入れて「が」を改めて発音しなおすようになるか、無理に続けると、「が」が「んがぁ」みたいになる)。つまり、jazzという言葉が外来語で「ジャズ」と表記されるのは、著者が示唆しているような完全な無根拠なことではなく、それが日本語の中で発音されるという前提に立ったことなのだと考えられる。

 (6) 上の例の「ジャズ」は、それが外来語であるということははっきりしているから、いったんどう発音するかを決めればあまり問題にはならない。しかし、たとえば次のような言葉はどう発音すべきなのか。ドイツ、オランダ、スイス、インフラ、インフレ、パソコン、PHS、アルバイト、ニンテンドー。ここに適当に挙げた単語たちは、その問題の性質をいくつかのカテゴリに分けることができるが、面倒なので詳しく論じるのはやめ、わかりにくいかもしれない例のみについて注を付ける。「アルバイト」はドイツ語のArbeitから来た外来語であり、ドイツ語風に発音するのが望ましいかもしれない。しかし、このArbeitという言葉は英語に訳せばlaborで、語感としては「労働」であり、日本語の「アルバイト」とはずいぶんと意味が違う。つまり、これはもう完全に日本語の単語であると考えた方が良い。「インフラ」と「インフレ」は、それぞれinfrastructureとinflationなので、最後の「ラ」と「レ」は違う発音をするのが望ましいと考えられる。しかし、「インフラ」と「インフレ」が和製の短縮語である以上、「インフラ」の最後の「ラ」をr音で発音する意味が果たしてあるのか疑問である。

 全体的な結論として。カタカナをベースにした発音記号には、日本人にとってなじみやすいという利点があるかもしれない。しかしなじみやすいだけに、それが表記体系としての平安カナと入り交じってしまうと、かえって弊害を生み出すおそれがある。また、外来語のカタカナ表記が原語の発音を正しく写し取ったものにならないことには、それなりの理由がある。「外国語の学習の妨げになっているから、その状況を変える」というのは本末転倒であるように思う。

2000/12/2

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