二次大戦下の「アメリカ民主主義」

総力戦の中の自由

上杉忍 / 講談社 / 00/11/10

★★★★★

非常に面白い好著

 著者はアメリカ南部社会史を専門とする人。本書は第二次世界大戦の時期に焦点を当てて、この時期がアメリカの民主主義にどのような影響を与えたかを論じる本である。詳しく論じながらも議論の広がりは大きく、書き手の有能さを感じさせる良い本だった。

 映画メモで最近取り上げた『ヒマラヤ杉に降る雪』のテーマである、第二次世界大戦下での日系人の強制抑留については1つの章を充てて、経緯を詳しく追っている。興味深かったのは、この強制抑留が大戦後の日系人に与えた影響についての指摘。抑留された人々の中には、収容所から解放された後に、東海岸に移り住んだ者が少なくなかった。このことが、それまで小さなコミュニティを作って閉鎖的になりがちだった日系人が、都市へと入り込み、アメリカ人全般から認知を受けるきっかけとなったという。

 もう1つ重要なトピックは、第二次世界大戦(と第一次世界大戦)がアメリカ黒人の地位に与えた影響についての考察である。著者の問題意識は、副題の「総力戦の中の自由」が示しているように、アメリカという国の人種差別のあり方が、戦争によって変わる、あるいは少なくともその変化の種が播かれるというところにある。一般に第二次世界大戦は黒人差別の緩和に大きく貢献したと言われているが、著者は、現実にその時期にはむしろバックラッシュ的な動きの方が大きかったと考えているようだ。つまり、「第二次世界大戦は黒人差別の緩和に大きく貢献した」という言い方はプロパガンダを鵜呑みにした錯誤であるというわけだ。

 では、総力戦は人種差別にどのようにポジティブな影響を与えるのか。それは、総力戦を行わなくてはならなくなったとき、国家は兵隊としてマイノリティ(黒人)の協力を必要とするので、その時期にマイノリティの指導者が政府と駆け引きをすることができる、という形である。駆け引きはすぐに実を結ぶわけではなく、実際には黒人が軍隊に大挙して入ったために、レイシズムがらみの犯罪や騒動はむしろ激化した。しかし種は確実に播かれた。

 著者はこの観点をさらに押し進め、アメリカにおけるレイシズムの緩和は総力戦によって「しか」進行しないというはなはだクールな見方をしている。ずいぶんと冷徹な見解だが、著者の説明にはかなりの説得力がある。それをさらに押し進めて、「あとがき」には次のように書いている(233ページ)。

この「総力戦体制の時代」の終焉がいよいよはっきりしてくる二一世紀にあっては、アメリカ民主主義が、これまでのようなかたちで着実に発展することはないであろう。国家が敵との対決のためにそれまで疎外されてきた少数派に協力を求めなければならないという条件そのものが弱まってきたからである。すなわち、国家が国民各層に国家目的への協力を求め、その代償として国民の生活や権利を保護するという国家の機能に関する総力戦時代の共通認識が、今、大きく変わろうとしているのである。とくに一九九〇年代以降、「小さな政府」「自己責任」の大合唱のもとに政府の責任放棄が進んでいる。また、「国際競争」から国家が国民を守ってはくれない時代が来ようとしている。このような状況のもとで、自分たちを守ってはくれない国家への国民の忠誠を期待することはますます難しくなるだろう。二一世紀には、ナショナリズムへの国民の凝集力も客観的に弱まらざるをえなくなるだろう。ナショナリズムは今、危機の時代を迎えているのではないか。
そのような視点に立って考えてみると、近年のアメリカ合衆国における多文化主義に対する政治的攻撃、具体的には英語第一主義運動、二言語教育禁止運動の高揚、あるいは、日本における日の丸・君が代の政治的強制、教育勅語復活の声の高まりなど、エキセントリクなイデオロギー的締め付けの背景が理解できるような気がするのである。それは非合理主義的反動である。

 引用部の第1パラグラフはまあおおむね理解できるのだが、第2パラグラフへのつながりがよくわからず、さらにアメリカの話がどうして日本の反動につながるのかは理解できない。推測してみれば、おそらくここでは、民主主義についてではなく、ナショナリズムについて語っているのだろう。そしてナショナリズムが弱体化すると、反動勢力がヒステリックに行動する。第2パラグラフに書かれているのは、そのヒステリックな反動の事例である。そしてアメリカの民主主義はナショナリズムをその駆動力として発達してきたのだから、今後の行く末にはあまり期待できないということだ。しかし、日本に目を転じれば、レイシズムの緩和も民主主義も、別にナショナリズムによって駆動されてきたわけではない(少なくとも戦後は。明治時代については、当てはまると思うが)。あえて敷衍すれば、ナショナリズムによって駆動されていないからこそ、日本の民主主義は脆弱なのだ、と言えるのかもしれないが、よくわからない。

 サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」観(『文明の衝突と21世紀の日本』『文明の衝突』)は、今後はアメリカ国内での「絶対主義」が強化されるという観点に立っていると考えられる。本書の議論と接続すれば、アメリカはこの絶対主義を国家・国民のアイデンティティとして位置づけることで、これに「ナショナリズム」の役割を持たせようとしているということになる。実際、最近のアメリカは、物理的な総力戦は行っていないにせよ、つねに国内政治をまとめるという目的で、他国との間に総力的な競争(戦争)状態を作っているように見える。だからアメリカ人(ハンチントン)は、文明間の衝突が起こると考えるわけである。

2000/12/9

TRCの該当ページへ

検索ページへ 目次へ 前へ 次へ