レギュレイターズ

Regulators, The

リチャード・バックマン / 新潮社 / 00/12/01

★★★★

刺激的な実験的試み

 1998年に出版された単行本が文庫化されたもの。原著の出版は1996年である。スティーヴン・キング名義の『デスペレーション』と主要登場人物の名前が共通しているが設定が微妙に違う奇怪な姉妹編を構成している。同じ主要キャストで違う映画を2本作ったというような実験的な試み。

 なお、本書は1984年の『痩せゆく男』を最後に、1985年に癌で死去したということになっているリチャード・バックマン(もちろんスティーヴン・キングの別名義)の未出版の原稿が発見されたという設定。要するに、キングは自由気ままに遊んでいるということだ。

 本書は『デスペレーション』と同じ基本テーマをバックマン・スタイルで書いたという感じのもの。『デスペレーション』よりも短いこと、スタイルと内容がマッチしていること、内容と翻訳が(『デスペレーション』よりも)合っていることなどの理由から、こちらの方がリーダビリティが高く、映像的な喚起力も強いように思う。

 しかし、本作はやはり『デスペレーション』とのペアとして読むべきものだろう。このような実験的試みを考えついたこと自体はもちろん、それをこのように実現できてしまう力業を見てしまうと、やはりこの人は天才と呼ぶしかないように思う。私がスティーヴン・キングが本物の天才であると確信したのは、1986年の『地獄のデビル・トラック』"Maximum Overdrive"を見たときだった。これは、すでに多くの作品が映画化されていたスティーヴン・キングが、原作、脚本だけでなく自ら監督もした映画である(端役で出演もしている)。エミリオ・エステヴェスが主演したこの映画は、単につまらないだけでなく、映画の基本的な作りを理解していないことが明瞭な、完全に破綻した駄作だった。また、自分の原作が映画化された映画にゲスト出演している様子から薄々感じ取っていたことではあったが、表現者としてのスティーヴン・キングがいったい何を面白いと思っているのかがはっきりと確認できたという効果もあった。具体的にはこの映画を見ればわかるのだが(見ることはお勧めしないが)、別の例を挙げれば、ロブ・ライナー監督の『スタンド・バイ・ミー』で主人公の少年が語るパイの大食い競争の物語のシーン、あれである。本人がスタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』に不満を抱いているということも併せて、スティーヴン・キングは生っ粋の小説書きであり、それ以外の(というか少なくとも映画の)才能や感性はまったく持ち合わせていないと言うことができる。

 こういうタイプの天才として、私が注目している(いた)人には、村上龍がいる。最近の小説は読んでいないのでよくわからないのだが、彼の書くエッセイや撮る映画と、彼の書いていた小説の間には甚だしい落差がある。また、高村薫もどうやらこのタイプに属するようで、彼女のエッセイはその小説からは想像もできない内容だ。これは映画『アマデウス』で提示されるような人格と才能の乖離の話ではなく、特定の分野の才能の突出ぶりの話である。

 『レギュレイターズ』と『デスペレーション』のペアの凄さは、何といっても、登場人物が微妙に違いながらも同じであり、でもやっぱり違うというその微調整の具合にある。この調整具合のせいで、両作品の表向きのテーマと並行して「人間の運命」というテーマが浮かび上がってくる。これは登場人物たちが違う人々として設定されているために、タイムトラベルや並行世界などの設定と組み合わせて語られる必然―偶然のテーマよりも深いところにまで到達している。具体的にはネタバレになってしまうので述べないけれども、スティーヴン・セガールはどの映画でもヒーローであるが、『エグゼクティブ・デシジョン』ではちょっと違う役割を演じているというようなトリック、あるいはヒッチコックの『サイコ』でジャネット・リーが意外な運命を迎えるというようなトリックが、映画作法上のテクニックとして理解され、その他の映画でスティーヴン・セガールとジャネット・リーがスターであるということが映画作法上のお約束として理解されるのに対し、この『レギュレイターズ』と『デスペレーション』はこのようなテクニックとお約束がそのまま人間の運命に関する洞察になっているのだ。

2000/12/16

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