本の未来はどうなるか

新しい記憶技術の時代

歌田明弘 / 中央公論新社 / 00/11/25

★★★★

アイデアの萌芽はある

 書籍の歴史を紹介する前半部と、20世紀末のさまざまな「近未来技術」を紹介する後半部から構成されており、この2つをつなげたいと思っているんだろうけれども、あまりうまくつながっているという感じはしない。要するに「本は記憶装置であり、ユーザー・インターフェイスである」ということなんだが、これはあまり目新しい主張ではない。

 本の読み方に関連して、『不良のための読書術』で「ゴダール式読書」と名づけられていた概念を別の角度から説明している興味深い部分がある。55ページ以降の「量は世界を変える」という項で、アメリカ公文書館での著者自らの体験をもとに、参照すべき、また参照可能な書物の量が膨大だと、自然と人は「ゴダール式読書」、本書では「ハイパーテキスト的な読み方」を行うようになると述べている。この背後には、われわれがこれまでそのような読み方をあまりしていなかったのは、量と検索機能の面での制約があったからだという発想がある。ところで、永江朗が「ゴダール式読書」、歌田明弘が「ハイパーテキスト的な読み方」と苦労して名づけているこの概念は、何のことはないbrowsingである。

 こういう読み方は何らかの目的でリサーチを行う人ならば当たり前のこととしてやってきたわけだけれども、問題は本をそれとは別の使い方をしている人、要するに普通に本を買って普通に本を読んでいる人のモティベーションがそれとうまく整合するかどうかというところにある。著者はアメリカ公文書館の例から、量と検索機能という基準を取り出しているが、これが「図書館」であるということも非常に重要だ。つまり、検索することはもちろん、読むことにもコストはかからない。一方、普通に書店で本を買うというケースでは、書棚で背表紙のタイトルを見て検索し、立ち読みによって少しはブラウジングができるとしても、最終的には何らかの本を買い、持ち帰って読むということが前提となっている。この仕組みがあるからこそ、ひとは1冊の本を通して読みたくなるのである(せっかく買ったのでもったいないから)。また、出版社には、本を厚くして定価を上げるという戦略をとりうる余地が生じる。

 いわゆる「現代思想」の分野では、ずいぶんと前からテキストの断片的な読みということが言われてきた。これはどちらかといえば、著者が提示するストーリー/コンテキストに対する反逆という意味合いが強かったように思うが、テクノロジーとしてのハイパーテキストの分野で言われる断片的な読みの効用はひたすら情報収集の効率化に焦点を当てている。だから、外見は似ていても、この2つの概念はその動機がかなり異なるものであり、指向性もかなり異なるようになるはずだ。たとえばハイパーテキストの分野では、ハイパーテキストに合ったテキストを書く技術なるものが指向されるだろう。これには「テキスト全体が読まれること」への欲望を放棄することが含まれる。たとえばこの読書メモや映画メモが全体として読まれることを望むのははなから無理である。したがって個々の断片に自己完結性を持たせることが望ましいが、そうすると今度は重複する記述がたくさん出てくることになる。これを解決するための手段として、「オブジェクト指向記述」みたいなものを考えている。

 個々の記述単位をクラスとして抽象化する。記述単位の内容は属性であり、各クラス間にはリレーションシップがあって、これはプレゼンテーション上はWWWのリンクとして表現される。このクラスは多重継承が可能である。個々の記事は、クラスをインスタンス化したものとなる。記事の検索にはクラス・ブラウザを、記事の表示にはオブジェクト・ブラウザを使用する。特にオブジェクト・ブラウザには、基本クラスから継承した内容の表示/非表示を切り替える機能が必要である(アウトライン・プロセッサのアウトラインの展開機能のようなもの)。

2000/12/16

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