管理される心

感情が商品になるとき

The Managed Heart: Commercialization of Human Feelings

アーリー・ラッセル・ホックシールド / 世界思想社 / 00/04/20

★★★

重要かもしれないがちょっと古いか

 訳者あとがきによると、「本書は、「感情社会学(sociology of emotion)」の事実上の宣言書であり、その後の社会学における感情研究を大きく方向づけてきた作品である」(296ページ)。訳本が出版されたのは昨年(2000年)だが、原著の出版は1983年。

 この読書メモで取り上げている本の中では、『自己コントロールの檻』『マクドナルド化する社会』と同じジャンルに属し、高度に発達した資本主義社会の中で、労働者/消費者としての人間の精神、特に感情が絡む部分がどのように変容したか/しつつあるかを論じている。著者が自ら書いている文章や、訳者のあとがきから推測するに、本書はこのトピックに関する先駆的な本だったらしい。

 その事情を考慮にいれて読まなくてはならないのだが、いくつか不満はあった。1) 著者は女性であり、本書のフィールドワークはアメリカの航空会社の女性客室乗務員(要するにスチュワーデス)を対象にしたもので、その分のバイアスがある。攻撃的とまではいかないにせよ、背後にフェミニストとしてのアジェンダがあることは明らかである。そのこと自体は別に問題はないのだが、いまとなってはこのトピックの対象もそれにまつわる観念も大幅に変化してしまっており、歴史的な価値はあるにしても、現在の状況にそのまま持ってくるのは難しそうだ。2) 感情コントロールの考察が精神分析っぽく、観念的である。おそらくこの後に、もうちょっと地に足のついた研究が出てくるのだろう。本書はこの分野の基盤の整備という役割を果たしたのだと思われる。3) 労働者の感情コントロールが本人に与える影響、つまり労働環境が主題であり、『マクドナルド化する社会』ではもっと踏み込んで論じられていた、サービス提供者とサービス消費者のインタラクションの場でのやり取りについての議論があまりない。

 訳者あとがきは、これらの議論をラディカル・フェミニズム的な社会学へと回収している。私は、これはもったいないと思うと同時に、『マクドナルド化する社会』のアプローチが相対的に良いものだったということに気づいた。おそらくいまでも日本人の女性フライト・アテンダントは、本書で描かれているまんまの感情労働を行っているのだろうが、われわれがいま直面しているもっと大きな問題は、ファストフード店やファミリー・レストランの「いらっしゃいませ〜」と「ありがとうございました〜」なのである。サービス提供者もサービス消費者も次の一歩を踏み出してしまっているのであり、この状況はジェンダー論では捉えられないと思う。もちろんのこと、西洋と日本の文化の違いも考慮にいれなくてはならず、ジェンダー論一般に言えることだが、西洋起源の論理を日本にそのまま移植することには無理がある。

 なお、『自己コントロールの檻』の項でも述べた「現代社会がよく言われているような倫理の衰退している社会ではなく、むしろ社会構成員の倫理の(または倫理的感性の)水準が向上しているために、倫理に違反するような人に対する検出力が上がっている」という議論に関連して、本書には次のような記述がある(218ページ)。

だが私たちはおそらく、これとは別のより重要な仕方で、商品化された感情に反応している。文化の一環として、私たちは今まで与えてこなかったような価値を、自発的で「自然」な感情に与え始めたのである。私たちは、管理されない心に、そしてそれが私たちに語ってくれることに好奇心をそそられている。個人感情管理者としての私たちの活動が組織の管理下に置かれるようになると、私たちは、管理されない感情生活をより祝福するようになった。この文化的な反応は、ルソーのような一八世紀後半の哲学者や、それに続く一九世紀のロマン主義思想によって提唱されていた。しかし、自発的な感情が貴重であり、かつ危険にさらされている、という見方が広く受け入れられ始めたのはつい最近、二〇世紀半ばのことであった。

 これは、1950年代あたりから、アメリカ映画における役者の演技に、現代人にも通用するリアリズムが取り入れられたことと符合する話ではある。しかしやはり注意しなくてはならないのは、日本映画は必ずしもこの傾向には合流しなかったということだ。アメリカ映画の世界では、もはやこのスタイル以外ではシリアスな映画は作れなくなっているように見えるが、日本映画はなぜか演劇指向(と仮に名づけておくが)の演技が依然として隆盛で、逆にリアリズム指向の演技ができる役者がいないんじゃないかと思えるぐらいである。念の為に書いておくが、これは「リアリズム指向」が本当にリアルであるという意味ではなく、「リアリズム」という仮構を支える集団的な意識がはやっているかどうか、ということだ。日本では1970年代あたりから、演劇指向の方がシリアスであるというような意識が支配的になっているように思われる。

 このことは逆に、日本のアニメの質が高くなりえたということとも関連しているように思っているんだが、これについてはまた機会を改めて。また、「リアリティTV」に対する態度のずれも重要。日本では、「リアリティTV」はつねにヤラセであるという観念が根強いように思われるが、これはTVや映画におけるリアリズムに対するペシミスティックな態度の表れであるように思う。

2001/2/10

TRCの該当ページへ

amazon.comの該当ページへ

検索ページへ 目次へ 前へ 次へ