Dreams in the Key of Blue

Dreams in the Key of Blue

John Philpin / Bantam Books / 00/01/01

★★

ごく普通のできの悪いミステリ

 著者のジョン・フィルピン(John Philpin)は数冊の本を書いているが、どうやら翻訳されたものはなさそうだ。ノンフィクションとしては"Beyond Murder"、"Stalemate"、フィクションとしてはPatricia Sierraとの共著で"The Prettiest Feathres"と"Tunnel of Night"という作品がある。いずれも未読。

 本書は心理学者を主人公とするごくふつうのシリアル・キラーものなのだが、類書との違いは、ひとえに著者が本物のプロファイラとして活動した経歴を持っているという点にある。つまり、その部分の描写には現実味がある、あるいは、少なくとも現実味があると想定してもよいと考えられる。そういうテクニカルな面での興味を除けば、ミステリとしての出来は非常に悪い。amazon.comの読者レビューで4点という比較的高い平均点をとっていたことに騙された。

 出来が悪い本なので、翻訳出版されることもないだろう。そういうわけで、以下はネタバレである。将来これを読むかもしれないと思う人は、ここで読むのを中断していただきたい。

 といっても、もろのネタバレは避けたいので、いくぶん持って回った書き方をすることにする。本書はシリアル・キラーものなのだが、サイコパスものではない。改めて気づいたのだが、ここ20年ほどのミステリにおける連続殺人犯は、ほとんどすべてが(精神医学用語でいうところの)サイコパスとして描かれてきた。もうそれ以外の(信憑性のある)書き方がないといってもいいような感じである。ところが本書では、著者と同じくプロファイラとして活動した経験のある主人公が、殺人犯の行動に通常のパターンからの逸脱を発見する。その逸脱が起こった理由についてはちゃんとした説明があるのだが(そしてそれをストーリー内でうまく活かせていないのが腹立たしいのだが)、なるほどこういう解もありえるなと思った。面白くしようと思えばもっと面白くなりうる。しかしそれをすると、別のジャンルの作品と競合することになる。ちなみにこの解とは、サイコパスではない別の精神障害であり、実際にこれを使ったミステリがないわけではないが、「そのせいでプロファイリングがうまく行かない」という使い方(の試み)は初めて見た。いやあ本当にもったいない。

 プロファイリングについて思い出したこと。ラッセル・マルケイの映画『レザレクション』では、シカゴ市警の警官のクリストファー・ランベールのところに例によってFBIからプロファイラが派遣されることになったので、「どうせ奴らは、犯人は白人中流階級の中年男性だと言うんだぜ」と憎まれ口を叩いていたら、プロファイラが本当にそれを言うというシーンがあった。実はその後にもう一ひねりがあるんだが、全体的に面白くない映画のなかで、これだけは大いに楽しめるエピソードだった。実際、緻密なプロファイリングの結果、「犯人は白人中流階級の中年男性」以外の結論に到達したというストーリーのミステリを読んだ記憶がない。私は、ここにはアメリカにおけるレイシズムが2つの方向で現れていると思っている。第1に、連続殺人犯は白人にしといた方が安全である。第2に、ミステリの題材になるような「知的に興味深い」連続殺人を犯すのは白人である。前者はPC、後者はもろな差別意識(またはそういう現実)である。

 日本製ミステリのネタとして、これに類したものはすでにあるかもしれないが、前から温めていたアイデア。プロファイリングの後進国である日本に、アメリカから技術交流のためにFBIのプロファイラが派遣されてくる。彼/彼女はマニュアルどおりに分析を進め、奇怪な連続殺人の犯人は「郊外に母親と一緒に住んでいる白人中年男性である」という結論を出す。周囲の日本人たちはアホかと思って相手にしないが、捜査を進めていくうちに、本当に「郊外に母親と一緒に住んでいる白人中年男性」が容疑者として浮かんでくる。

2001/3/10

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