濁った激流にかかる橋

伊井直行 / 講談社 / 00/07/10

★★★★

懐かしい感じがするとともに実に現代的

 『群像』に1997年から2000年にかけて連載された短篇を集めた連作短篇集。現代日本の、巨大な川と橋を持つ地方都市を舞台にし、複数の人物のPOV描写を組み合わせて全体像を描き出すというタイプの寓話である。著者の本を読むのはこれが初めて。したがって以下に書くことには勘違いが含まれるかもしれないが、事前の知識なしの第一印象ということで。

 冒頭の短篇「濁った激流にかかる橋」が、安部公房の真似という感じがしたものの、まともに読める文体だったので買ってみた。しかし読み進めるうちに、本作は個々の短篇ごとに文体を変える実験的な試みをしている作品であることがわかった。これらの文体は、いずれもそれぞれのバリエーションの中で実に高いレベルに到達していて、著者の言語運用能力の高さを窺わせる。特に、何かを手本にしたパスティーシュと思しき文体よりも、力の抜けた日常的描写の文章と言葉の選択が絶妙で、こういうことが可能なのかとかなりの衝撃を受けた。たとえば46ページの「メッセンジャーガール」とか、163ページの「ジャンジャジャジャンと音楽が鳴った」など、語り手が現代の若者であるという枠組みを活かし、またその枠組みを強化するような言葉がいろいろな箇所で使われている。エキセントリックな語り手とそれに呼応した文体もいくつかあるが、現代日本の気の抜けた感じの若者が気の抜けた感じで語っているという設定の文体が興味深い。ただしこれらもジュヴナイル小説のパロディである可能性はあるんだが。

 小説の内容は、古い日本SFを思い出させるようなものだ。分類不可能なあらゆるものにSFというラベルが付けられていた時期への先祖返りという感じがする。著者の年齢(1953年生まれ)からみても、たとえば小松左京、星新一、眉村卓、光瀬龍といったSF作家たちのやっていたようなことを、現代日本を舞台にして再生させるという明確な意図があるのではないか(実際、『果てしなき流れの果てに』、『声の網』、『司令官』などを含めて、いくつもの小説を連想した)。ストーリーが、語り手に若者が多いこともあって、少年少女向けのようなものになっているところも、あの時期のSFのあり方と似ていて興味深い。こういうものが『群像』に連載されていたというのは驚きではある。といっても『群像』に限らず、この手の文芸雑誌は読まなくなって久しいので、現状がどうなっているのかを知らないのだが。

 「複数の人物のPOV描写を組み合わせて全体像を描き出すというタイプ」の話としては、個々のエピソードの絡み方があまり論理的に組み立てられていないという点で好ましい。語り手どうしの人間関係は一様ではなく、時間の経過も不分明で、全体として曖昧模糊とした印象を与えることに成功している。このタイプの話は、構成がしっかりしていると予定調和的という印象を与えかねないのだが、その罠はうまく回避している。

 難点は、個々の短篇の長さも、その数も含めて、やっぱりボリュームが少なくて軽すぎるということだろうか。『果てしなき流れの果てに』のクライマックスは、あれが分厚い本だったから良かったんであり、最後の短篇のクライマックスの感動は、そこまでにあるていどのボリュームがないと迫力が出ない。全体として、体力不足のために未完成で終わったSF小説か最近流行の西洋伝奇小説という感じを受ける(それらの小説が長すぎる、ともいえるが)。とはいえ、どの短篇にもユーモアの精神が満ちていて、大いに読書を楽しんだことは間違いない。他の著書も読んでみたくなった。

2001/3/17

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