蒸発請負人

Vanishing Act

トマス・ペリー / 講談社 / 01/03/15

★★★★

翻訳がひどすぎる

 久しぶりのトマス・ペリーだが、原著が出版されたのは1995年。その後、本書の主人公ジェーン・ホワイトフィールドを主人公とするシリーズが4冊出ている。

 思えばトマス・ペリーは、1980年代アメリカ製ミステリの最も好きな作家の一人だった(まあ「最も好きな作家」は他にも大勢いたのだが)。しかし1990年代に入って、衝撃的なデビュー作の『逃げる殺し屋』の続篇『殺し屋の息子』でいくぶん失望したのに加え、『アイランド』も面白かったものの、ユーモア小説作家への路線変更らしきものが見えて、これからどうなるんだろうと思っていた。ところが実は彼は1995年から始まったこのシリーズによって、シリアスなハードボイルド路線に復帰していたのだった。『異物混入』のリドリー・ピアスンや、1999年に『Dark Lady』を出したリチャード・ノース・パタースンなど、日本の翻訳ミステリ業界では、1990年代に入って盛り返している中堅どころの作家の作品のバックログがけっこうたまっているようだ。理由は知らないのだが、読者の好みが変わったのだろうか。それともアドバンスの金額の下方硬直性みたいな事情があるのだろうか。

 いずれにせよ、本書は、「蒸発」したいと考える人を手助けすることを生業としている、ネイティブ・アメリカンの血を引くフリーランスの女性を主人公とした、『逃げる殺し屋』に似たタイプのシリアスな小説である。『逃げる殺し屋』よりもずっと続篇が書きやすそうな人物設定で、ステレオタイプでありながらも細部の描き込みはなかなか凄く、特に主人公の「蒸発屋」としての特性とネイティブ・インディアンとしての特性を存分に活かした傑作だ。理論上は。

 「理論上」と書いたのは、本書の翻訳がひどいためである。私がトマス・ペリーに思い入れをしているということもあるのだろうが、これはあまりにも可哀想。原文を理解できないまま表面的に日本語にし、日本語の意味が通っていないのにそのまま押し通すという最悪のパターンで、実に残念だ。続篇を翻訳出版する予定があるのなら、別の人に替えて欲しい。

2001/3/31

 原著(ペーパーバック版)が届いたので目を通してみたところ、やはり翻訳のおかしさを確認することができた。少し例を紹介しようと思うが、そのまえにいくつかの注意書き。(1) 翻訳の評価はあくまでも本全体について行うべきで、細かい部分を抜き出してとやかく言うのは趣味が悪いことである。どんな優れた翻訳にも、ミスは見つかるものだ。(2) 私はこの手のいわゆる「海外ミステリ」と呼ばれるジャンルの翻訳と原文を対照したことはそれほどないので、本書の翻訳のレベルが相対的に見てどうなのかは判断できない。たまたま本書は、「誤訳が透けて見える」タイプのものであり、わからない文章を適当に筋の通る日本語にして、痕跡を消してしまうものよりも良心的だったのかもしれない。(3) 原文はペーパーバック版を使った。

 以下は、冒頭のパラグラフ。物語の始まりで、もちろん非常に重要な場面である。(原著1ページ、訳書1ページ)

Jack Killigan used the reflections in the dark windows to watch the woman walk quickly up the long concourse look at her high heels so she could take a few extra steps while the escalator was carrying her down and then hurry around the curve so she could step onto the conveyor. She didn't even know he was shadowing her. They always looked behind them every few seconds but they never looked in front - didn't really look.
ジャック・キリガンは黒っぽい窓に女の姿が映るのをながめていた。女は長いコンコースを足早に歩き、エスカレーターで下りながら足元のハイヒールを見てニ、三段余分に進み、それから、急いでカーブを回り込んでベルトコンベヤーに乗った。彼が尾行していることは知る由もない。こうした女たちは常にニ、三秒ごとに後ろを見るが、正面は見ない―本当に見ていないのだ。

 この部分に限らず、本書の訳の日本語は乱れているという感じがすることが非常に多い。「それから」という言葉などのリズムの悪さ、「ベルトコンベヤー」という言葉の不自然さはその典型例だ。また、この日本語からは、女が足元のハイヒールに目をやったのが、エスカレーターの上で立ち止まったままでいるのではなく、段を歩いて降りるためだったということがわかりにくい。しかし、最も大きな問題は、最後の2つの文の"even"と"really"の意味をとりそこねていることである。"even"は、「彼女は尾行に気づいていない"にもかかわらず"、急いでいる」という意味。"really"は、「"真剣"に探そうとはしない」という意味。本書には、この手のニュアンスを読み取れないまま表面的に日本語にしたと思われるケースが多く見られる。たとえば主人公の女性はいくつかの箇所(2箇所か?)で「わたしだけよ」と囁くが(原著319ページ、訳書466ページ)、これは案の定"It's only me"であり、この"only"は「だけ」ではなく「単に」という意味で、「わたしだから、心配する必要はないわ」というようなニュアンスである。訳文としてはシンプルな「わたしよ」が適切だろう。以下、このパラグラフを訳してみた。

ジャック・キリガンは、暗い窓にうつる影を使って、女が長いコンコースを足早に歩き、足元のハイヒールに目をやって下りのエスカレーターを数歩駆け降り、カーブを回り込んで動く歩道に飛び乗る様子を監視していた。彼が尾けていることには気づいていない。こうした女たちは、数秒おきに後ろを振りかえりはするが、前方にはまともに注意を払わないのだ。

 次の例は13章から(原著121ページ、訳書182ページ)。主人公のジェーンが逃亡者のフェルカーを伴ってネイティブ・アメリカンの居留地に到着した翌日の場面である。ジェーンはフェルカーに、逃亡者の心構えを教える。本書では会話の訳が特にひどいのだが、今回原文を対照してみて、予想以上にまずいことがわかった。以下、彼女が目覚め、キッチンでコーヒーを作っているときに、フェルカーが部屋に入ってきたときの会話。驚愕できると思います。

... "Sorry I slept so late."
"That's okay " he said. "I just got up myself." She turned around and saw him run his hand over the thick whiskers that had grown in on his jaw. "Do you think I should grow a mustache?"
"A mustache is not a great disguise for you."
"What's a great disguise?"
"Great? Great is like you take female hormones for a year get a sex-chage operation that's so good that your reclusive billionaire husband never suspects that you weren't always a woman and neither do any of his army of security people."
"I'd better settle for good. What's good?"
"I haven't decided yet." She frowned. "You're a big muscular hairy ex-cop. You add a mustache it just makes you look more like what you were anyway. You'll need something that makes you look like a different kind of person who just happens to look like you."
…「こんな遅く起きてごめんなさい」
「いいんだ」と彼は言った。「自然に目が覚めたんだから」 彼女が振り返ると、彼は顎に生えた無精髭に手を這わせていた。「口髭を生やしたほうがいいと思うかい?」
「口髭はあなたにはたいした変装にならないわね」
「たいした変装ってなんだ?」
「たいした? たいしたというのは、あなたが一年間女性ホルモンの投与を受け、見事な性転換手術を施されて、あなたのさびしいご亭主や、その護衛の連中の誰もがあなたはかならずしも女性じゃなかったなどと疑いもしないってこと」
「わたしはこれを最後に落ちついたほうがいいだろう。どうすればいいのかな?」
「まだ決めていないの」 彼女は顔をしかめた。「あなたは大男で、たくましくて、毛深い元警官よ。口髭を生やしたら、とにかくいっそう昔のあなたに近くなってしまう。あなたに必要なのは、たまたまあなたに似ている別のタイプの誰かのように見せる何かなの」

 最初のセリフは素直に「寝坊してごめんなさい」でいいとは思うが、それに応えてフェルカーが言う"I just got up myself."は、「私もいま起きたばかりだ」だ。この「自然に目が覚めたんだから」は、日本語のレベルでは意味が通ってしまうだけに悪質な誤訳である。

 "great disguise"を「たいした変装」にするのは1つの選択だと思うが、日本語の「たいして〜ない」は特殊な意味を持っており、そっちの意味にとれてしまう可能性がある。また、この"great"は後に述べる"good"と絡んでくるので、この2つの単語になんとか関連を持たせなくてはならない。

 女性ホルモンうんぬんのところ、"reclusive billionaire husband"は、「世間に顔を見せない/隠棲の億万長者の夫」のことで、「さびしい」わけではない。このニュアンスに欠ける訳文では、「護衛の連中」"security people"が唐突である。また、"you weren't always a woman"の"always"は「かならずしも」ではなく、普通の意味での「つねに」、要するに「いままでずっと」という意味だ。

 その次が凄い。"I'd better settle for good."は、"great disguise"は無理っぽいから、"good disguise"で我慢しとくよ、という意味だが、"settle for good"を"settle"と"for good"に分解して「わたしはこれを最後に落ちついたほうがいいだろう」と訳している。これは誤訳が透けて見えるタイプの訳で、私は訳文を見た時点でそうなんだろうと推測することができたが。

 その次の"I haven't decided yet"を「まだ決めていないの」としているが、どちらかといえば「まだわからない」という意味。彼女には"good disguise"のアイデアのさまざまな選択肢、あるいはそれを導き出す論理があるけれども、今回のフェルカーにとってどれが適切なのかは、これから考えなくてはならない、ということだ。最後の文は、その次にフェルカーがこれを「禅問答のようだ」と言っているのでわかりにくくてもよいのだが……。

 この場面では、この後もかなり驚愕すべき会話が2人の間で続けられる。

 次の例は、19章。ジェーンが老人のジェイクとともに、事件を解決するために旅に出る。飛行機の中で、2人は死について会話をし、ジェイクがちょっとばかし哲学的なことを言う(原著188ページ、訳書284ページ)。

"Does that make you afraid?"
"When I was young it did. I remember when I was thirty or thirty-five I used to still hate to go to sleep at night because I didn't want to miss anything - like a child. That was how I thought about death too; I dreaded having my curiosity frustrated. But I guess you can only flinch so many times before the punch gets familiar. You've already felt it hit so many times in your imagination that it loses interest."
「そのことで心配になるの?」
「若いころはそうだった。三十か三十五のころ、ふだん、夜、床につくのがとても嫌だったのを思い出すよ、どんなものも見のがしたくなかったんだ―子供みたいに。死についてもそんな考え方をしていた。好奇心を満たさないでおくのがひどく怖かったんだ。だけど、何度も何度も尻ごみしながらその怖さに慣れるしかないだろう。あんたはすでに頭の中でその力をあまりに何度も感じて関心がなくなっちまったんだ。」

 ここは「心配」じゃなくて「怖い」だろう。それはともかく、ジェイクの答えの部分の訳は意味を取りそこねていて、その結果、最後の文が完全な誤訳になっている。一般的な"you"を「あんた」、すなわちジェーンのことを指しているように訳しているため、会話がまったく成り立っていない。以下、少し意訳ぎみだが、全体的な意味がわかりやすいようにした訳。

「それを考えると怖くなる?」
「若いころはそうだった。思い出すよ。わしは三十や三十五になってもまだ、小さい子供のように、夜眠りにつくのがいやだった―何か面白いものを見落とすんじゃないかとね。死についても、同じふうに思ってた。この好奇心が満たされないまま死ぬなんて、考えるだけで耐えられなかった。でも、そういう怖さは、実際にパンチをもらい慣れちまったら消えるものさ。頭のなかで何度も何度もパンチをもらっていると、そのうち気にもしなくなっちまう。」

 登場人物たちがやたらに哲学的な会話をしているように見えるときは要注意である。原文では当たり前のことを言っていることが少なくない。

 誤訳が透けて見える例を1つ。8章で、ジェーンはクリフという男に車の手配を頼みに行く(原著71ページ、訳書108ページ)。

「ハロー、クリフ」と彼女は応じた。「すてきな夜ね」
「わたしと試合見物するために来たのかい?」 クリフォード・ターキントンがとっておきの笑みを浮かべると、彼の横に広い顔はいっそう広がったように見え、黒い目はすぼまったが、口は動かなかった。「すばらしい夜だ。インディアンがヤンキーごっこをしてるんだ」

 ご想像のとおり、最後の文は"The Indians are playing the Yankees."である。クリーブランド・インディアンズ対ニューヨーク・ヤンキーズの試合がTV中継されているんである。

"Hello Cliff " she answered. "Nice night."
"You come to watch the game with me?" Clifford Tarkington smiled his special smile and his broad Tuscarora face seemed to widen and his dark eyes narrowed but his mouth didn't move. "Big night. The Indians are playing the Yankees."

 Tuscaroraはネイティブ・アメリカンの部族の名前。

 18章には、このクリフと電話で話をする場面が出てくる(原著171ページ、訳書255ページ)。ジェーンは逃亡を手助けする過程で、クリフから借りた車を乗り捨てなくてはならなかった。

Then she called Cliff.
"Janie Janie " he said. "You do the weirdest things to my cars."
"Is it broken?"
"No."
"I didn't paint it did I?"
"No."
"I didn't keep it too long."
"No you just parked it out in the boonies."
"Cliff I'll make you a deal."
"You'll wash and wax it and I won't charge the wear-and-tear feee and the pickup fee and the reshelving fee? Gee I don't know..."
"No " she said. "You'll forget your fees and I'll forget my refund."
There was a shocked silence. "Jane you okay?"
"Why?"
"You don't seem ... normal."
"You know a lot of normal people Cliff? You have a lot of them come by to rent a car?"
"Well no but - "
"I'm just tired. I'll try to screw you out of some money next time. Thanks for handling things."
"Sure Janie."
それから、彼女はクリフに電話した。
「ジェイニー、ジェイニー」と彼は言った。「おまえさんくらいうちの車にへんちくりんなことをする者はいないぜ」
「壊れたの?」
「いや」
「ペンキを塗らなかったでしょう?」
「ああ」
「長すぎるほどは借りてないわ」
「そうだな。山奥に置きっぱなしただけだが」
「クリフ、あなたと取引をしてもいいんだけど」
「そっちで洗車とワックス代を持つから、損料と回収料と広告費は請求するなって? おいおい、こっちはまだわからないんだぜ…」
「そんなんじゃないの」と彼女は言った。「そちらが料金をなかったことにするの。そうしたら、わたしは払い戻しを捨てるわ」
ショックによる沈黙がいっとき流れた。「ジェーン、だいじょうぶなのか?」
「どうして?」
「あんたはどうも……まともな感じじゃない」
「あなたは大勢のまともな人を知っているの、クリフ? 大勢のまともな人があなたの車を借りに来る?」
「いやあ、そうでもないが、ただ―」
「わたしは疲れただけよ。この次はあなたからいくらかのお金をしぼりとるようにするわ。いろいろな手配をありがとう」
「お安いご用さ、ジェーン」

 車を借りる場面も凄いのだが、ここも凄い。2人の間で交わされている会話のニュアンスを、この日本語から読み取るのは可能だろうか? キー・ポイントとなるのは、「払い戻しを捨てる」とは何かということと、クリフが言っている「まともな感じじゃない」は何かということだ。なお「ペンキ」についてだが、彼女はクリフと過去に何度も取引をしており、そのうちの1回で、偽装のために車の色を塗り替えたことがあったことを指している。

 "weirdest"は、日本語の「おまえさんくらい」のように、ジェーンと他の人を比較して言っているのではない。その後のジェーンの2つのセリフは下記の試訳を参照。"keep"と"parked it out in the boonies"は連動している。"Gee I don't know..."は意味の取り違い。"normal"のニュアンスは難しく、ジェイクとジェーンは違う意味で使っている。ジェイクは、いつもはタフな取引をするジェーンが、やたら気前がいいので驚いているのである。"fees"よりも"refund"の方がずっと金額が大きいからで、このようなオファーはジェーン「らしくない」。ジェーンはこの"normal"という言葉を一般的な意味で使っている。以下、ちょっと説明的意訳ぎみ。

それから、彼女はクリフに電話をかけた。
「ジェイニー、ジェイニー」と彼は言った。「おまえさんはほんとに俺の車に妙な仕打ちをしてくれるな」
「壊れてた?」
「いや」
「色を塗りかえたわけでもないでしょう?」
「ああ」
「それに、期限内に返したわ」
「ああ、山奥に放ったらかしてな」
「クリフ、悪いようにはしないから」
「車を洗ってワックスをかけるから、損耗費と回収代と整備代はチャラにしてくれってか? そう言われても……」
「いいえ」と彼女は言った。「その代金を忘れてくれたら、私は保証金のことを忘れるわ」
電話の向こうで、驚きのあまりの沈黙が流れた。「ジェーン、だいじょうぶか?」
「どうして?」
「なんだか……どこか変だぞ」
「変じゃない人を大勢知ってるっていうの? そもそも、あなたの車を変じゃない人が借りに来る?」
「そうでもないが、でも―」
「いまは単に疲れているだけよ。この次はちゃんとお金をしぼりとってあげるから。いろいろとありがとう」
「ああ、ジェーン」

 本書の、またトマス・ペリーの特徴は、登場人物たちがひねった会話をすることにある。そのひねり方を説明的に訳すと、原文のハードボイルドな感じが失われて具合が悪い。上の私の訳はぎりぎりのところかもしれない。

 ここまでは主に会話を取り上げてきたが、次は地の文。19章、ジェーンの以前のクライアントが死んだというニュースが流れ、その死の責任は自分にあるんではないかと、飛行機の上であれこれと悩む部分である(原著185ページ、訳書279ページ)。本書の主人公のジェーンはインディペンデントなアウトローで、独特な物の考え方をする。その考え方を描く内省の部分は、本シリーズの、また主人公の大きな魅力の1つである。

ジェーン・ホワイトフィールドは飛行機の座席に坐って、二重のガラス窓から暗闇を見つめた。自分がハリーを殺してしまったのだ。正しい結びつきを作らなかったのだ。やむなくジョン・フェルカーを客観的に見たとき、彼は取るに足らない男だった。ただの元警官にすぎず、他の何千人もの警官と何の違いもない。残りの人生を続けていくに足るだけの刺激材料があるからという理由で何か退屈な務めをすることに甘んじている。
彼は自分がかつて警官であったために誰かが自分を選んだのだと思い込んでいた。あらゆる警官は犯罪者である敵をたくさんかかえている。彼らは警官が引退するからというだけで引退するわけではない。そして、ハーヴァードのMBAを取得する代わりに夜学に通う警官であることによって、彼はたやすく大手会計会社の中で逮捕されるように仕向けられるようなタイプの部外者にさせられたのだ。どちらの説明ももっともらしく聞こえたため、ジェーンは本当に吟味しないで彼の仮定を受け入れていた。
いったい何が、ジョンをとほうもないパラノイアの悪夢のような陰謀に足るだけの特別な存在にしたのだろうか? 彼女は愚かだった。ジョンならば自分の敵は自分がつくりだしたものだと決め込んでも許される。なぜなら、まさか、自分の一生をだいなしにされたとき、それはたいした出来事ではないと思い込むような人間はいないだろうからだ。ジェーンならば許されないだろう。彼女は自身に対してそのことを申し立てた。ジェーンは一人の平凡な男を引き合わされ、その男は彼女にこう語る。ある日、彼には正体さえつかめない、きわめて狡猾な敵によって、いきなり、度はずれた力が動き出した。彼のふつうの人生をぶちこわしにするだけのために。そして、彼に警告する者は世界で最も厳重に手配されている逃亡犯の一人である、と。あの連中は本当は誰を追っているんだろう? それを彼女に明らかにするにはハリーの名を引き合いに出すだけで事足りただろう。
彼女はあの夜、それを言った。なぜ彼らは刑務所システム全体にうわさを広めて、陪審義務の適格者ではない、全国のほとんどあらゆる者に理解させるようにするのか? それは元警官を殺す方法ではない。それは彼に、闘って退けることを期待できない危険に直面していることを確実に知らせる方法だ。彼らは彼を逃がしたかったのだ。
Jane Whitefield sat in the airplane seat and stared out the double pane of glass into the darkness. She had killed Harry. She just had not made the right connections. When she forced herself to look at John Felker objectively he was a nobody just an ex-policeman no different from thousands of others content doing some dull job because he'd had enough exceitement to last the rest of his life.
He had assumed that somebody had chosen him because he had once been a cop. Every cop has a lot of enemies who are criminals and they don't retire just because he does. And being an ex-cop who went to night school instead of getting a Harvard M.B.A. made him the sort of outsider who could easily be made to take a fall in a big accounting firm. Either explanation had sounded plausible and she had accepted his assumption without really examining it.
What made John special enough to be worth some gigantic paranoid's nightmare of a conspiracy? She had been stupid. John could be excused for assuming that his enemies were his own because no human being could be expected to imagine that when his life was destroyed that wasn't the main event. Jane couldn't be excused. She stated it to herself: Jane is presented with an ordinary guy who tells her that one day without warning enourmous resources have been brought into play by extremely cunning enemies he can't even identify all designed to destroy his ordinary life and the one who warns him is one of the most wanted fugitives in the worlds. Who are these people really after? Just the mention of Harry's name should have been enought to make it obvious to her.
She had even said it that night. Why would they spread the word all over the prison system so just about everybody in the whole country who wasn't eligible for jury duty would know? That was no way to kill an ex-cop. It was a way to be sure he heard he was in a kind of danger he couldn't hope to fight off. They had wanted to get him running.

 日本語の文章はわけがわからない。誤訳もいくつかあるが、ここも他の多くの部分と同様に、論理の流れを掴み切れていない様子が見て取れる。以下、意訳ぎみの訳。

ジェーン・ホワイトフィールドは飛行機の座席から、二重のガラス窓を通して外の暗闇を見つめた。ハリーを殺したのは自分だ。自分が見通せなかったのがいけなかったのだ。ジョン・フェルカーのことをむりやり冷静に見れば、彼は単なる一人の元警官に過ぎなかった。刺激の強いことはもう一生ぶん経験したからという理由で、退屈な仕事を平穏にこなすことに満足している、何千人もの退職警官の一人に過ぎないのだ。
彼は、自分が選ばれたのは元警官だったからだと考えた。どんな警官も犯罪者の間に数多くの敵を持っており、彼らは警官が引退したからといって自分も引退するようなことはしない。そして、ハーヴァード大学のMBAを取得するのではなく、夜学に通った彼は、大手の会計事務所で不正を働く誘惑にたやすく負けそうなアウトサイダーの役にぴったりだった。この二つの説明はどちらももっともらしく聞こえたので、ジェーンは深く考えずに彼の説をそのまま受け入れた。
しかし、いったいジョンの存在のどこに、パラノイアの悪夢のような巨大な陰謀のターゲットになるだけの特別な意味があるというのだろう。彼女は愚かだった。ジョン本人が、敵の目的が自分だと思い込むのは仕方がない。自分の人生が破壊されるのを見てしまったら、それがメイン・イベントだと思うのは無理もないだろう。しかし、ジェーンにはその言い訳は通用しない。彼女は自分にそう言い聞かせた。ある平凡な男が彼女のもとにやってきて、誰だか見当もつかないきわめて狡猾な敵が、ある日何の前兆もなく、彼の平凡な生活を破壊するためだけのために巨大な力をふるい始めた、そしてそのことを彼に警告したのは最重要の逃亡犯の一人だったと告げる。さて、彼らが本当に狙っているのは誰なのか? ハリーの名前が出た瞬間に、彼女は気づくべきだったのだ。
彼女自らがあの夜、このことを口にしていたではないか。なぜ、この国の陪審員の資格に欠ける者全員に話を行き渡らせたいと言わんばかりに、刑務所のネットワークに噂を広めたのか? 退職警官を殺すためではない。立ち向かうことも不可能な危険が迫っていることを、彼の耳に確実に入れるためだ。彼らは彼が逃げだすのを待っていたのだ。

 "When she forced herself to look at John Felker objectively"は、彼女がフェルカーと肉体関係を持ったので、客観的に見られなくなっていることを意味している。「退屈な仕事」のところは、過去完了形の取り間違いと思われる。

 MBAと夜学のところには、こういう事情がある。フェルカーは退職後、夜学に通って会計士の資格をとったのち、大手の会計事務所に就職した。つまり羽振りがよくない。そういう"outsider"だからこそ、不正の証拠を植えつけて、彼を犯罪者に仕立て上げるのにかっこうのターゲットとなったのである。MBAを取得していれば、「そういう誘惑に負けた」というシナリオでのフレームアップは無理だったろう。

 "main event"はまさに「メイン・イベント」のこと。実は、フェルカーをターゲットにした企みは「前座」であり、本当の目的はハリーだったのである。だから、"his enemies were his own"は「自分の敵は自分がつくりだしたもの」ではなく、「敵の目的は自分である」の意味。

 "She had even said it that night"の"even"のニュアンスがここで落ちている。「そういえば自分でもあのとき言ってたじゃないか!」ということ。「彼らは彼を逃がしたかったのだ」ではなく、「彼らの目的は、彼を逃亡させることであった」という意味。

2001/4/7

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