心の病気はなぜ起こるか

うつ病と脳内物質

高田明和 / 朝日新聞社 / 2001/02/25

★★★★★

コンパクトにまとまった実に有用な本

 副題には「うつ病と脳内物質」とあるが、鬱病とセロトニン(薬としては「プロザック」)に焦点が当てられているものの、その他の、脳および精神に影響を与えるさまざまな薬物とその生理学的な仕組み、さらには歴史的経緯を解説する実に面白い啓蒙書だった。

 たまたま『日本がアメリカを赦す日』の項で精神分析について触れたけれども、本書は精神分析がなぜどのように凋落したかという解説にもなっている。アメリカは先進国で日本は後進国である、という一般論はよくないが、精神医学の分野に関しては、どうやら日本はずいぶんと遅れているようで、一般人やメディアの間での認知だけでなく専門家集団の間でも保守的な動きが強いということらしい。実際、アメリカで流行った動きや観念がいつまで経っても日本に入ってこないというケースはいくつもあり、その中には「入ってこなくてかえって良かった」というような、アメリカではすでに1サイクルが終了してしまったようなものもあるけれども(精神科医が行う催眠術による偽の記憶の埋め込みなど)、精神分析の扱い方、広くは心の病に対する世間の認知は、早めにアメリカ流(というかグローバル・スタンダード)を取り入れた方がいいように思う。その他に気になっているトピックは「サイコパス」の扱い方だが、これはまた別の機会に。

 日本の現状の奇怪さは、猟奇的な犯罪が行われたときの日本のメディア上での論評を見ればすぐにわかるけれども、この読書メモでの身近な一例としては『精神分析医シルヴィア』があった。本書の主人公のシルヴィアは決して「精神分析医」ではなくごく普通の「精神科医」である。「精神分析」が普通のメインストリームの精神医学と違うものだと認識されていないという日本の事情を象徴しているといえる。

 アメリカにおける精神分析の流れに関しては、1980年のDSM-IIIで「神経症」というフロイト的用語が削除されてしまったというのが大きなニュースとなったが、それと同じ年に鬱病の薬であるプロザックが発売されたことも重要である。人間の心の状態は物理的なプロセスであり、外から取り入れる薬物によって左右することができるということは、麻薬というジャンルの物質からすでに了解されていたはずだが、精神医学が扱い、治療の対象とするごく普通の「鬱病」のような病気にも市販薬が効果を発するという事実は、一般人レベルでの認知に大きな影響を与えたに違いない。

 これがすぐに、人間の精神の物理的決定論に結びつくわけではないことは言うまでもない。『考える脳・考えない脳』のモデルを使って言えば、薬物はニューラル・コンピュータの部分に作用するわけだが、ノイマン型コンピュータの状態からニューラル・コンピュータの状態へのフィードバックの回路があることは間違いない。精神分析は、ノイマン型コンピュータ上でのシンボル操作のみでニューラル・コンピュータの状態を変えようとする試みであり、しかもそのフィードバック経路についての十分な根拠がないままにそれをやっているということになる。一方、行動療法と分類されるものは、フィードバック経路をあるていど解明した上で、似たようなことをしている。つまりこれらの理論と実践は、このフィードバック経路が解明されれば有益である可能性はある。しかしそれはかなり先の話になるだろうし、おそらく個人差が大きく文化依存性も高いだろう。ノイマン型コンピュータは文化に大きく依存しているわけだが、そのインターフェイスも同じように文化依存的だろうからである。

 本書では、セロトニンとプロザックだけでなく幅広い薬物を扱っているが、個人的に特に新鮮だったのは、一時期流行した「脳内麻薬」についての観念のバックラッシュだった。どうやら、このジャンルはずいぶんと流行らなくなっているらしい。

 なお、セロトニンの原料である必須アミノ酸の1つ、トリプトファンが、動物性タンパク質に多く含まれており、植物性タンパク質にはあまり含まれていないという事情は、動物と人間の進化の観点からだけでなく、菜食主義の意味についても示唆するところが多いように思う。やっぱり菜食主義はやばいんじゃないの、ということだ。63ページ辺りを参照。

2001/3/31

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