ダーウィンのブラックボックス

生命像への新しい挑戦

Darwin's Black Box: The Biochemical Challenge to Evolution

マイケル・J・ベーエ / 青土社 / 98/06/10

★★★

創造論の一つの形態

 生物の生化学的な仕組み、とりわけ細胞内のさまざまな構造の仕組みは、自然選択によって作り出されたものとは考えにくく、何らかの知性によってデザインされたものに違いないと主張する本。

 タイトルの「ブラック・ボックス」は、ダーウィン以来の進化論が、生物の個体というブラック・ボックスを想定した上での自然選択を論じてきたことを指している。著者にいわせれば、生化学によって一つのブラック・ボックスが開けられたわけなので、もはやこのボックスの内部的仕組みを無視して進化を論じることはできない。そして細胞内のさまざまな構造を観察してみると、これよりも下位の、自然選択の理論の基盤となりうるようなブラック・ボックスは見つからない。これを主張するために、著者はさまざまなプロセスを詳しく紹介し、これらがあまりに複雑であること、またこれらが自然選択によって進化しうる道筋が想定できないこと(多段階にわたるポジティブとネガティブのフィードバックの複雑な絡み合いなど)を指摘する。

 だから、これらの生化学的なプロセスは自然選択ではなく「デザイン」によって作られたのに違いない、というのである。誰がデザインしたのかは議論しなくてもよい、と言う(神でも地球外生物でもよい)。「デザイン」が行われた後に自然選択の過程が起こることについては積極的に肯定している。そして生物学は、どの部分がデザインによるものなのかを識別するという研究プログラムを取るべきであると言う。

 訳者あとがきの最後の方には、次のように書かれている(415ページ)。「…これからいつまでも続く探求のどの時点においても、すべてのブラックボックスが開かれ終わっていなければならないと思いこむ理由は、何もないだろう」。これは少し違うような気がした。上に書いたように、著者は、いまの生化学は、生化学的なレベルでの自然選択の単位となるブラック・ボックスを見つけていないと言っているのだと思う。だから、デザイン論の単位となるブラック・ボックスを提唱しよう、と。いや、これは単に「ブラック・ボックス」という言葉の位置づけの話で、基本的には訳者あとがきに書かれている批判(つまり、別にいまのこの時期を科学の歴史における特権的な時期と考える理由はないということ)に賛成なのだが。

 この本の後半ではダーウィン流の進化論に対する批判が書かれているが、基本的に言っているのは、進化論が(あまり強固な物証を持っていない)作業仮説に過ぎないということである。だから「デザイン論」の作業仮説も同じ権利を持っているという風に言いたいようなのだが、この本を読み終えて思ったのは、(細胞・細胞内レベルでの)進化論とデザイン論のどちらを取っても、科学者がやることは同じだろうということだった。世界を一挙に神が創造したというラディカルな創造論をとらないかぎり(もちろんこの本の著者はそんなことは言っていない)、デザインの後も自然選択のプロセスは働く。したがって科学者は、もろもろの生化学的要素に対して自然選択がどのように働いてきたかを調べることになる。で、どの時点でも、そのメカニズムが不明というか、想像ができない要素について、進化論者は「まだ不明である」と述べ、デザイン論者は「これはデザインされた可能性がある」と述べるわけだ。科学者個人がどちらの論を採用しているかによって、その科学者の研究に対する根気の度合が変わるかもしれないが(デザイン論者は早めに諦めるかもしれない)。

 もう一つ。デザイン論者は斉一性の点で問題にぶちあたるかもしれない。おそらく、デザイン論者が「これはデザインだ」と言いたくなるような仕組みは、生物の進化の歴史の中のさまざまな時点で出現しているに違いない。そうなった場合、デザイン論者は、仮にエイリアンが分子を設計して地球に送り込んだという説をとるとしたら、そのエイリアンが地球に対して何度かにわたって干渉したと仮定せざるをえなくなる。もちろんそのエイリアンは設計の際に、地球上の生物の現状を知っていなくてはならないはずだから、地球をかなり長期にわたって(もしかしたらいまも?)監視していたことになる。この点、自然選択は定義上、原初から現在までつねに働いているものなので、有利である。

 この、「エイリアンによる継続的モニター説」をとらないとすれば、エイリアンは個々の分子構造そのものでなく、何か別の仕組み(メカニズム)をデザインし、一回だけ地球に送り込んで、その後は自然の流れにまかせたという説をとることになるだろうか。つまり、分子レベルでの生物の進化は、ランダムな突然変異プラス自然選択だけでなく、何かしらわれわれがまだ発見していない、知的にデザインされたメカニズムによって起こっている、と。これは、遺伝子の配列の中に、将来の進化の方向を定める情報(メタ情報とでもいうべきか)が入っていた、ということである。しかし、この痕跡はどの生物にもすでに残っていないんじゃないだろうか。定義上、そこの部分は、いったん該当する進化が起こってしまうとfitnessがなくなるから、突然変異がそのまま残り、原型をとどめなくなる。

 まあ、創造論のバリエーションの1つとして興味深い、と。

1998/6/11

 『ミッション・トゥ・マーズ』という映画が、上で指摘したような問題に直面していた。以下、ネタバレなので、映画を見ていない人は読まないようにすることをお勧めする。

 この映画では、先に進化していた火星人が、地球上の生命の原初となるDNAをデザインし、それを(おそらくまだ生命が発生していなかった)地球に導入したという設定になっている。そして火星上に基地を作り、人間が来るのを待っているのである。

 映画の中では、火星人が地球上での生物進化の過程を継続的にモニターしていた、あるいは介入していたという描写はなく、基本的に最初の導入以降は自然選択に任せていたものと思われる。

 ところが、火星で人間を待っている火星人は、基地を開くための鍵として、人間のDNAパターンを記号化した電磁波を使っている。また、火星人は人間と似た形のヒューマノイドである。これはどちらも、地球上での進化を自然選択に任せていた場合には無理な設定だ。1つありうるのは、最初に導入したDNAからヒューマノイドが進化し、いまの人間の持つDNAパターンが生じることが「必然的である」という設定だ(まあこれも無理なんだが)。

2000/11/9

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