在日韓国人の終焉

鄭大均 / 文藝春秋 / 2001/04/20

★★★★★

痛烈

 著者は在日韓国人二世。アメリカのUCLAで学び、韓国の大学で長く教え、いまは日本の大学の教員をしているという経歴を持つ人。本書の帯には、「おわりに」からの次の文章が引用されている。

在日韓国人が日本で生活していることに深い意味や特別な意味はない。在日の一世たちは朝鮮半島よりは日本を生活の地として選択したのであり、その子孫である私たちもそれを受容しているだけのことである。つまり、在日韓国人は「永住外国人」などという宙ぶらりんな存在としてよりは、日本国籍を取得して、この社会のフル・メンバーとして生きていけばいいのであり、そのために必要なら帰化手続きの弊を指摘すればいいのである。本書は在日が存在理由をなくすために書いた本である。

 というふうに、きわめてポレミックで挑発的な内容である。『コリアン世界の旅』は在日コリアンをグローバルな視点から捉え直すという試みをする本だったが、本書の著者はアメリカと韓国での生活体験を経て、実際にグローバルな視点から発言をしている。『〈在日〉という生き方』という本は、従来の在日コリアン論を高い視点からまとめ、それらを乗り越えようとする試みだったが、本書はさらにラディカルな地点に立っている。差別論という点でいうと、小浜逸郎の『「弱者」とはだれか』の論点と同質な部分があり、したがって、被差別部落問題について似たようなことを述べている人々(『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』の灘本昌久や『「部落史」の終わり』の畑中敏之など)と似たような地点に立っている。

 私は在日コリアンの問題を細かくフォローしているわけではないので、現状の議論がどのような水準にあるのかを知らないのだが、本書で引用されているさまざまな文章を見る限り、この手の議論が行えるフィールドはいちおう存在しているようだ。ただ、本書で著者がかなり攻撃的な論調を使っていることからもわかるように、一般的な風潮はやはり依然として旧来の差別論の水準にあるということなのだと思われる。著者が在日韓国人でない「日本人」であったら、文藝春秋といえども本書を出版するのには躊躇しただろうし、出版後のバッシングは凄いものになっただろう。その意味で、この議論は在日コリアンが(あるいは別の国の人が)この水準まで持ってくるしかない、あらかじめ参加者の限定された議論なのである。そしてここまで来て初めて、在日コリアンの問題は世界の他の地域におけるマイノリティの問題と同じレベルで議論できるようになる。

 なお、この問題についての個人的な見解。本書の著者もいくつかのコンテキストで言及しているように、二世以降の在日コリアンの多くは、通俗的な日本人論でいうところの「日本人」以外の何者でもない。これは韓国、あるいは第三国(特にアメリカやヨーロッパ)に長く住んだ在日コリアンの多くが表明している心情である。著者が指摘している、日本国籍を取得せずに韓国(または朝鮮)籍のまま過ごすこと自体が、日本的な社会のあり方によりかかった振る舞いであるという言い方は(論争的に過ぎると思わないでもないものの)なかなか鋭いとは思うけれども、日本人である私としては、そういうあり方が許容されてもいいんじゃないかと思う。著者はアカウンタビリティという言葉を使っているが、そういう首尾一貫性が要求されないということは、日本社会の美徳の1つでもあるわけである(著者は、それが在日コリアンをスポイルしていると主張している)。

 しかしどちらにせよ今後、日本社会が外国人労働者を積極的に受け入れるようになれば、在日コリアンの問題の焦点はシフトせざるをえない。在日コリアンは「日本人」以外の何者でもないという認識が普及するか、他のマイノリティ・グループとの対立関係に入るかのどちらかになる。この点で、著者がかなりの反感を抱いているように思われる日本の「多民族文化」とか「多様化」を唱える人々の少なからずが、大きな勘違いをしているように思う。グローバル・スタンダードな意味で「多民族文化」が進んだときに待ち受けるのは、マイノリティ・グループが互いに利益を求めて対立しあい、ヘイト・クライムが活発化する社会であり、「共生」というような言葉から連想されるユートピア的な社会ではおそらくない。個人的には、上に書いた日本社会の美徳である一種の曖昧さが、そのような「共生」の担保となりうるかもしれないとは思っているのだが、あまり確信はない(現状がまさにそのような状態であると言う人はいるかもしれない)。いずれにせよ、この動きはすでに始まっているし、いろいろな要素を勘案するに逆行は不可能である。本格的に民族的多様化が進んだとき、従来の在日コリアン的なあり方は「日本人」以上に保守的なものとして立ち現われ、本書の著者は本書ほど挑戦的な態度をとらずに自らの考えを述べられるようになるだろう。

 そういうわけで、この手のトピックには(被差別部落の問題とともに)個人的にはあまり関心をそそられないのである。「決まったらまた連絡してください」という感じで。

2001/5/3

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