なぜ授業は壊れ、学力は低下するのか

プロ教師の会 / 洋泉社 / 01/05/21

★★★★

ちょっと散漫な印象だが

 プロ教師の会の編著による『プロ教師は主張する』というシリーズの1冊目ということのようだ。この後、2002年にかけて3冊出す予定らしい。本書は第一部「授業論」、第二部「学力低下論」の二部構成になっており、あわせて8人の著者によるエッセイから構成されている。それぞれが自分の思うことを書いたという感じで、きれいな構造にはなっていない。執筆者には、諏訪哲二(『教師と生徒は〈敵〉である』『学校はなぜ壊れたか』)、河上亮一(『教育改革国民会議で何が論じられたか』『学校崩壊』)、喜入克(『高校が崩壊する』)らがいる。私は諏訪哲二の文章が好きなのだが、本書に収められているものはいずれも普通だった。

 「プロ教師の会」がこのところを話題になっている「学力低下」の問題にどうアプローチするかは、最初から自明であるといってよく、本書も予想の範囲にぴったり収まっている。『論争・学力崩壊』に代表される、最新の学力低下問題についての議論からは、プロ教師の会が昔から唱えてきたような「学校の権威の崩壊」の視点が奇妙な感じで抜け落ちており(もちろん言及がないわけではないが)、カリキュラムをどうするか、またそれをどう実施するかというテクニカルな話題が中心となることが多いように思われる。これに関して、執筆者の1人である藤田敏明は次のように述べている(206ページ)(これは別にこの執筆者1人が思っていることではなく、プロ教師の会の共通認識である。たまたま引用しやすいから引用するだけ)。

教育改革論議や学力低下論議に感じるもっとも大きな違和感は、現場教師としていえば、この点にある。彼ら論者は、世間一般とは逆に個人がまったく個人の力で学んでいると信じ切っているし、学ぶことができると当然のように思っている。だがそうではない。それが旧来の「集団主義」だとか、しっかりした個人が確立していない日本の悪弊とかいわれようとも、現実の生徒たちの振る舞いの原理には、「場」が影響しており、周囲の空気の作用が絶大である。

 プロ教師の会の活動はもともとリベラルな教育方針に対する批判として始められたものだから、上記の批判は現在の対立軸の中では主に文部科学省に向けられていると考えられるが(それにしても皮肉な事態である)、このようないくぶん機械的な人間観は文部科学省に対する批判者にも見られるように思う。カリキュラム、学習教材、評価方式などの、学習そのものに関する適切なモティベーションが与えられれば、人は勉強するものであるという前提は、いまの議論の両陣営によって共有されているといってよい。「教育学」なる学問は、そういう問題の立てかたをせざるをえない、ということなのかもしれない。

 なお、どの陣営の人も立場上言えないことが明らかなので、私がその役を買って、若者向けのメッセージを発することにする(そういう年代の人はこのサイトを読んでいないだろうけれども、まあ何らかの経路で届くかもしれないことを期待して)。「日本の悲観的な未来」、「階層の固定化」、「学力の低下」などと、暗いことを言われまくりでさぞかし鬱陶しい思いをしていることと思うが、そういうことを言っている人たちもそんなに上等な存在じゃないんである。あまり本気で受け取らないほうがよい。あと、集団と個々人は違うものだということを忘れてはならない。たとえば、今後、若者の学力が低下の一途をたどるとしたら、学力を身に着けた人の価値が相対的に上がる。これからは、学ぶ意欲がある人にとっては大きなチャンスが訪れるのである。

2001/5/10

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